食堂かたつむり  Shokudo katatsumuri
(2009) on IMDb


2010年/日本/カラー/119分/ヴィスタ/ドルビーSR
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(初出:未発表)

 

 

ファンタジーにする意味とは

 

 富永まい監督の『食堂かたつむり』は、ジャン=ピエール・ジュネ『アメリ』を連想させるようなファンタジーだ。現実とは違う世界を表現するための造形や場面によってアニメーションを盛り込む構成には、それなりに作り手の個性が感じられる。但し、ファンタジーだからといって、現実をおざなりにしていいわけではないし、現実に繋がる何らかのテーマが、異なる視点やかたちで描き出されなければ、ファンタジーにする意味もあまりない。

 たとえば、ジュネのテーマは孤独だ。『ロスト・チルドレン』『エイリアン4』のようなダークファンタジーやSFには、クローンやエイリアン、アンドロイドの孤独がある。ライトなファンタジーである『アメリ』では、アメリを取り巻く人々がみな孤独や喪失の痛みを抱え、自分の世界に閉じこもっている。彼は、様々な視点や設定を通して孤独を見つめ、それを越える繋がりを描き出そうとする。

 『食堂かたつむり』のテーマは、食べることと生きること、そして娘と母親の絆だが、ファンタジーにしたことが、それを表現するために何らかの効果をもたらしているとは思えない。むしろそうすることで、現実がおざなりにされているように見える。


◆スタッフ◆
 
監督   富永まい
原作 小川糸
脚本 高井浩子
撮影 北信康
編集 森下博昭
音楽 福原まり
 
◆キャスト◆
 
倫子   柴咲コウ
ルリコ 余貴美子
熊さん ブラザートム
ネオコン 田中哲司
志田未来
ミドリ 満島ひかり
お妾さん 江波杏子
シュウ 三浦友和
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(配給:東宝)

 筆者がまず疑問を覚えたのは、田舎で小さな食堂をはじめたヒロインが、記念すべき最初の客に出す料理だ。かつて彼女は都会に出て、インド人と思われる料理人(「カレーの人」と表現される)と恋に落ち、ふたりで店を出すためにせっせと働いていた。だがある日、カレーの人は、ふたりの財産を持ち逃げしてしまう。彼女はショックのために声まで失い、田舎に戻ってきた。

 これはあくまで筆者の想像ではあるが、そんな体験をしたのなら、彼を思い出させるものは間違いなく避けるだろう。いくら料理が好きだからといっても、カレーの匂いは決して嗅ぎたくない。コリアンダーやクミンやターメリックやガラムマサラは処分する。声を失うほど深く傷ついたのであれば、そのくらいのことはするはずだ。ところが彼女は、最初の客にカレーを出す。仕上げにガラムマサラで味を調え、その匂いを嗅いでもなんでもない。彼から得たものを、すんなりと前向きに活用できるのであれば、彼女の傷はほとんど癒えている、と筆者なら考える。

 母親のペットだったブタのエルメスが、突然、食べられることになるのも説得力に欠ける。母親は、エルメスを自分の子供のように溺愛していた。幻想とはいえ、ヒロインはエルメスと言葉を交わしている。それでも、料理人としてのヒロインが、自分の手でエルメスの命を奪い、料理するならまだわかる。だが、どこかに運ばれ、肉だけが戻ってくるのでは、墓もたてられない。

 この映画では、「生きることは、食べること」というテーマは描かれても、「食べるということは、他を奪い、己が生きるということ」(道場六三郎)という料理人にとって避けることのできないテーマが浮かび上がってくることはない。ラムチョップやアマダイはどこかからただ運ばれてくる。鳩は都合よく扉に激突してくれる。

 ファンタジーにすることで、心の痛みや生きることの現実がぼやけ、曖昧になるのであれば、あとは物語や世界を現実離れしたイメージで装飾する役割しか残らなくなってしまうだろう。

 
《引用文献》
『おかず指南(暮らしの設計No.209)』道場六三郎●
(中央公論社、1992年)

(upload:2010/02/05)
 
 
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