千と千尋の神隠し
Spirited Away


2001年/日本/カラー/125分/ヴィスタ/ドルビーデジタルサラウンドEX・DTS-ES(6.1ch)
line
(初出:「中央公論」2001年9月号、加筆)

 

 

現実の真の姿を映し出す鏡としての異世界

 

 十歳の千尋と両親は、引越しの途中で道を間違え、奇妙な町に迷い込む。そこは八百万の神々が日頃の疲れを癒す湯治場で、人間が入ることは許されない。千尋は名前を奪われて“千”となり、生き延びるために働くことになる。

 『千と千尋の神隠し』は、宮崎監督の前作『もののけ姫』と見事に対照的な作品だ。『もののけ姫』は強引に絶対的な世界を構築しようとして、現実遊離し、破綻をきたした。『千と千尋の神隠し』でヒロイン千尋が迷い込む異世界は、西洋の魔女が経営し、日本の神々をもてなす和洋折衷の油屋を筆頭に、設定や造形など雑多な寄せ集めのファンタジーに見える。しかしこれは、現実世界を徹底的に異化した世界であり、そのスタンスは挑発的ですらある。

 千尋の両親は、過去も未来もなく、画一化された郊外住宅地に引っ越そうとしている。そんな彼らの目には、この異世界はバブル時代の遺物であるテーマパークとしか映らない。彼らには未知なるものはすべて消費の対象でしかない。だからブタに変えられる。というよりも異世界のなかで、その真の姿を露にする。消費の果てに自らも消費される運命は、現代そのものなのだ。一方、異世界にある油屋もまた、神々をもてなすとはいえ、そこには信仰のかけらもありはしない。経営者である魔女は利潤の追求に邁進し、使用人たちも完全に物欲にとり憑かれている。

 しかし油屋が和洋折衷であることは、千尋にとって大きな意味を持つ。彼女は強制的に名前を奪われるわけではない。そこでは働く意思を示し、労働に励めば、生き延びることができる。だから千尋は、書面に自ら署名し、魔女と労働の契約を結ぶ。これは西洋的な個人と個人の契約であり、和洋折衷の設定が生きることになる。

 この契約で興味深いのは、千尋が“千”にされ、契約の完全な奴隷となってしまえば、自分が千尋=人間であることを忘却していくことだ。この千とは、両親がブタであるのと同じように、この時点における彼女の真の姿だといえる。これから郊外住宅地に暮らし、歴史も伝統も喪失し、消費することしか教えられない両親に育てられていくことは、千になっていくことと何ら違いがないからだ。しかしいうまでもなく、個人と個人の契約にはもうひとつの効力がある。千尋は千にされてしまうものの、両親の庇護から解かれ、世界や他者と自己の境界が明確になっていく。


◆スタッフ◆

監督/原作/脚本 宮崎駿
音楽 久石譲
作画監督 安藤雅司/ 高坂希太郎/ 賀川愛

◆キャスト◆

千尋
柊瑠美
ハク 入野自由
湯婆婆 夏木マリ
お父さん 内藤剛志
お母さん 沢口靖子
青蛙 我修院達也
神木隆之介
リン 玉井夕海
釜爺 菅原文太
(配給:東宝)
 


 この映画の異世界とは、現実の真の姿を映し出す鏡のようなものであり、契約以前から千になりかけていた千尋は、千の立場から彼女の周囲にあるものの真の姿をひとつひとつ確認し、千尋であることを見極めようとする。彼女は、両親とこの奇妙な町の入り口に立ったときに、その手がかりを垣間見ている。そこには枯れかけた川があった。それは両親にはただの川だが、千尋にとっては過去への入り口でもある。契約によって千となった彼女は、忘れ去っていた過去に導かれるように自分に目覚めていく。

 油屋で働く千は、ゴミや汚物を取り込んでしまったために、嫌われ者の汚れた河の主オクサレさまに変容してしまった河の神を救う。やがて彼女のなかに、いまではマンションになっている川に落ちたときの大切な記憶が甦ってくる。そして、自然と結びついた自分のささやかな神話的世界を守るために、必死に闘っていることに気づく。彼女はそんな闘いを通して、彼女を支配しているかに見える世界の真の姿をとらえ、それを超越することによって千尋となるのだ。


(upload:2002/02/02)
 
 
《関連リンク》
ベン・ザイトリン 『ハッシュパピー バスタブ島の少女』 レビュー ■
フアン・アントニオ・バヨナ 『インポッシブル』 レビュー ■
ベルナルド・ベルトルッチ 『孤独な天使たち』 レビュー ■
ガブリエーレ・サルヴァトーレス 『ぼくは怖くない』 レビュー ■

 
 
 
amazon.co.jpへ●

ご意見はこちらへ master@crisscross.jp


copyright