『サンシャイン・クリーニング』は、2年前に公開された快作『リトル・ミス・サンシャイン』のプロデュースチームが手がけた新作だ。その中身はオリジナル・ストーリーであり、監督も脚本家も前作とは違うが、2本の映画には共通点がある。
タイトルに“サンシャイン”という言葉が使われている。主人公の一家が暮らしているのは、どちらもニューメキシコ州アルバカーキ。そして、勝ち組と負け組という図式にとらわれた人物が登場し、壊れかけた家族の奮闘がユーモアを交えて生き生きと描き出される。しかしこの映画は決して二番煎じではない。前作以上にドラマやキャラクターに奥行きがある。
『リトル・ミス・サンシャイン』には、キャラクターを印象づける巧みな話術があった。たとえば、ゲイの伯父さんは、プルースト研究の第一人者を自認している。おそらく彼は若い頃にゲイであることに悩み苦しみ、プルーストに共感し、傾倒していったのだろう。一方、一家の長男は、無言の誓いを立てている。おそらく彼は、通俗的な自己啓発や成功哲学を振りかざすダメな父親に反発して、ニーチェの超人思想に傾倒していったのだろう。
この映画は、導入部だけでこちらにそんな想像をさせる。しかし、ドラマのなかでそれ以上にキャラクターに踏み込むことはない。カリフォルニアに向かう旅とクライマックスのコンテストを通して、一家の面々が変化していくのはわかるが、彼らの過去はそれぞれの内面で清算される。もちろんそういう表現も有効だが、筆者はもう少し踏み込んでもよかったと思う。
『サンシャイン・クリーニング』では、ローズとノラという姉妹の現在を描くだけではなく、過去に踏み込んでいく。しかも、かなり意外なかたちで。
実際にニューメキシコ州のアルバカーキで撮影されたこの映画には、地方の生活や空気がリアルにとらえられている。そこでは未来を切り開くための選択肢が限られている。30代半ばのシングルマザーであるローズは、ハウスクリーニングの仕事をしている。彼女が生活に余裕のある人々の家を掃除すれば、狭い世界だけに、成功を収めた学生時代の女友だちと再会してしまうこともある。そんな落差に加えて、ローズがハイスクール時代にチアリーダーとして羨望の的となり、フットボールの花形選手と付き合っていたとなれば、どうしても勝ち組と負け組という立場の違いを意識せざるをえなくなる。
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