2作品は、逃げる女と追う男をめぐって展開する。エリナーが突然、姿を消せば、コナーが彼女を探すのは自然なことだが、「逃げる」と「追う」の図式には象徴的な意味も含まれる。2作品は導入部からまったく違った展開を見せる。「エリナーの愛情」は、エリナーが川に身を投げるところから始まる。これに対して「コナーの涙」は、夫婦が悲劇に見舞われる前の幸福な思い出から始まる。
過去を思うコナーは、ふたりで以前のような関係を取り戻すことが望ましいと思っている。それは、逃げるエリナーの背中を見て、彼女を取り戻そうとすることにも繋がっている。だからこの「コナーの涙」では、エリナーの背中を見ていたコナーが、どのようにして彼女に自分の背中を見せられるようになるのかがポイントになる。
「コナーの涙」と「エリナーの愛情」では、それぞれに異なる人間関係が浮かび上がってくるが、ふたりの主人公と彼らを取り巻く人々との距離は対照的だ。「コナーの涙」では、コナーと彼の友人でレストランのシェフでもあるスチュアート、コナーと彼の父親スペンサーのドラマが描かれるが、彼らの距離はもともと近い。コナーの父親もレストランやバーを経営し、女性との関係も含めて親子には、似た者同士といえるところがある。コナーはそんな関係のなかで、近さに依存するではなく、自立する必要に迫られる。
コナーがどう変わったのかは、彼の店で食い逃げをした若いカップルを彼が追いかける場面で示される。この映画の冒頭に映し出されるコナーの幸福な思い出は、彼とエリナーの食い逃げから始まっていた。今度は追いかける立場になったコナーがとる行動が彼の変化を物語る。そして彼は、エリナーに自分の背中を見せることになる。 |