ノア 約束の舟
Noah


2014年/アメリカ/カラー/138分/ヴィスタ/ドルビーサラウンド5.1ch/7.1ch/Dolby Atmos
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(初出:)

 

 

「創世記」の世界と現代社会を繋ぐ人間の堕落と大洪水

 

[ストーリー] ある夜、ノアは眠りの中で、恐るべき光景を見る。それは、堕落した人間を滅ぼすために、すべてを地上から消し去り、新たな世界を創るという神の宣告だった。大洪水が来ると知ったノアは、妻ナーマと3人の息子、そして養女イラと共に、罪のない動物たちを守る箱舟を造り始める。やがてノアの父を殺した宿敵トバル・カインがノアの計画を知り、舟を奪おうとする。壮絶な戦いのなか、遂に大洪水が始まる。空は暗転し激しい豪雨が大地に降り注ぎ、地上の水門が開き水柱が立ち上がる。濁流が地上を覆うなか、ノアの家族と動物たちを乗せた箱舟だけが流されていく。

 閉ざされた箱舟の中で、ノアは神に託された驚くべき使命を打ち明ける。箱舟に乗ったノアの家族の未来とは? 人類が犯した罪とは? そして世界を新たに創造する途方もない約束の結末とは――? [プレスより]

 レビューのテキストは準備中です。とりあえず感想を書いておきます。

■前半の展開には引き込まれました。特に、世界と動物と人間に対する視点です。ノアは、動物は生き残り、人間は滅ぶべきだと考えます。「創世記」や神からは離れてしまいますが、筆者は、この映画における人間の堕落を見ながら、キューブリックの『2001年宇宙の旅』にも影響を与えた“狩猟仮説”のことを思い出していました。

 キューブリックは『2001年宇宙の旅』で、猿人が骨を武器として使う瞬間を人類の出発点と位置づけました。そのシーンのヒントになったのは、人類学者のレイモンド・ダートが唱え、劇作家のロバート・アードレイがその著書『アフリカ創世記』で広めた“狩猟仮説”でした。ダートは、武器を使った狩猟や仲間への攻撃という戦いの歴史が人類を作ったと考えました。彼の狩猟仮説は、70年代後半に科学界が反論を開始するまで、20年間も事実として幅をきかせていました。

 人類学者マット・カートミルの『人はなぜ殺すか 狩猟仮説と動物観の文明史』では、狩猟仮説の一般への浸透と『2001年宇宙の旅』の反響が以下のように綴られています。「1960年代には、狩猟仮説の中心的命題――狩猟とその選択圧が人間の男と女を類人猿的祖先から作り上げ、彼らに暴力の味を覚えこませ、動物界から疎遠にさせ、自然の法則から自らを引きはがしてしまった――は人気の文化的テーマとなり、人間さえいなければ調和のとれている動物の世界を脅かす、精神的に不安定な捕獲者としてのホモ・サピエンス(ヒト)のイメージはあまりにも広く浸透して、反論が起こることもなくなった。人気の科学本だけではなく、小説、漫画、映画やテレビによってもこのような考え方は広まっていった。1968年にはスタンレー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』のなかの、シマウマの大腿骨を使って世界初の殺人を犯したばかりのアウストラロピテクスがその骨を空中に歓喜に満ちてほうり投げ、それが、軌道を回る宇宙船になるという強烈なイメージから、何百万もの映画好きがダートの全理論を学ぶことになる

 この映画はただ創世記を解釈するだけではなく、このような世界観も反映されているような印象を受けました。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本/製作   ダーレン・アロノフスキー
Darren Aronofsky
脚本・製作総指揮 アリ・ハンデル
Ari Handel
撮影監督 マシュー・リバティーク
Matthew Libatique
編集 アンドリュー・ワイズブラム
Andrew Weisblum
音楽 クリント・マンセル
Clint Mansell
 
◆キャスト◆
 
ノア   ラッセル・クロウ
Russell Crowe
ナーマ ジェニファー・コネリー
Jennifer Connelly
トバル・カイン レイ・ウィンストン
Ray Winstone
イラ エマ・ワトソン
Emma Watson
メトシェラ アンソニー・ホプキンス
Anthony Hopkins
ハム ローガン・ラーマン
Logan Lerman
セム ダグラス・ブース
Douglas Booth
-
(配給:パラマウント ピクチャーズ ジャパン)
 

■大洪水のイメージにも興味を覚えます。ジョージ・マイアソンは『エコロジーとポストモダンの終焉』のなかで、「現代社会は、エコロジー的にみて有害な生活様式をもっていて、それに対して『罰を受けることなく』過ごせるかどうかの計画的ギャンブルを実践している」と書いていますが、大洪水はそのようなリスクを象徴しているように思えます。

■映画の終盤は個人的には期待はずれでした。特に動物と人間の関係です。古人類学者のフアン・ルイス・アルスアガは『ネアンデルタール人の首飾り』のなかで、「われわれはどうして多くの生物のなかで、これほど孤立しているのだろうか。人間が地球上のほかの種とまったく交信できないことを、どのように説明するのだろう」と書いています。アロノフスキーは前半の設定を生かし、「創世記」の世界を逸脱して、動物と人間の関係について独自のヴィジョンを切り拓くのではないかと思ったりしたのですが、CGで作られたたくさんの動物たちはやはり背景や飾りにとどまっていました。

《参照/引用文献》
『人はなぜ殺すか 狩猟仮説と動物観の文明史』 マット・カートミル●
内田亮子訳(新曜社、1995年)
『ネアンデルタール人の首飾り』 フアン・ルイス・アルスアガ●
藤野邦夫訳(新評論、2008年)
『エコロジーとポストモダンの終焉』ジョージ・マイアソン●
野田三貴訳(岩波書店、2007年)

(upload:2014/07/23)
 
 
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