メディカル・エンジニアであるライアン・ストーン博士は、ベテラン宇宙飛行士マット・コワルスキーのサポートのもと、地球の上空60万メートルの無重力空間でデータ通信システムの故障の原因を探っていた。そのときヒューストンから緊急の警告が発せられる。
破壊された人工衛星(スペース・デブリ)の破片が別の衛星に衝突して新たなデブリが発生し、猛烈な速度で彼らに襲いかかった。予想もしない事故によって、ストーンとコワルスキーは宇宙空間に投げ出される。シャトルは大破し、他の乗組員は全員死亡、ヒューストンとの交信も途絶え、残った酸素はあとわずか。果たしてふたりは、次々と襲いかかる危機を突破し、地球に帰還することができるのか――。
レビューのテキストは準備中です。ウルリッヒ・ベックの“世界リスク社会論”をキーワードにしたテキストを書きます。ちなみに、映画にこのキーワードをそのまま当てはめるようなことにはなりませんが、ベックの『世界リスク社会論』の訳者解説では、“リスク社会論”が以下のようにまとめられています。
「ベックによれば、リスク社会とは、産業社会が環境問題、原発事故、遺伝子工学などに見られるように新たな時代、別の段階に入り、それまでとは質的にまったく異なった性格を持つようになった社会のことである。異なった性格とは、「困窮は階級的であるが、スモッグは民主的である」という言葉に象徴されるように、環境汚染や原発事故といったリスクが、階級とは基本的には無関係に人々にふりかかり、逆説的にある種の平等性、普遍性を持っていること、そしてチェルノブイリ原発事故に端的に示されているように、リスクの持つ普遍性が、国境を超え、世界的規模での共同性、いわゆる世界社会を生み出していることが挙げられる。その意味で、今までの一国社会、国民国家、また国内内部での階級的不平等を主要な特徴としていた産業社会から決別し、新たな段階としてリスク社会に入ったというわけである。(後略)」
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