アンダーソンがこの映画で細部と全体の関係を強く意識していることは、冒頭で最初に流れる音楽から察することができる。それは、ベンジャミン・ブリテンの《青少年のための管弦楽入門》であり、パーセルの主題が、木管、金管、弦、打楽器などに編成を変えて提示される。
解説とともにオーケストラの細部と全体の関係を学ぶ音楽から始まるこの映画では、細部がひとつの世界に統合されていくことが示唆され、実際にその通りになる。計算されたカメラワークやキャラクターの感情、ドラマのリズムなどが見事にシンクロし、細部を見るこちらの目が自然に全体をとらえている。
さらにこの映画では、聖書やシェイクスピアの世界の引用が、細部と全体の橋渡しに貢献している。サムとスージーは、教会で上演された『ノアの方舟』がきっかけで出会う。スージーはこの劇でカラスの役を演じ、ボーイスカウトの活動で劇を観たサムの目にとまる。そして、やがて彼らの世界である小島も、嵐の襲来で洪水に見舞われることになる。
島に嵐とくればもちろん『テンペスト』も思い浮かぶ。映画の冒頭では、ブリテンの《青少年のための管弦楽入門》が終わると、ボブ・バラバン扮するナレーターが現われ、私たち観客に三日後に嵐が来ると告げる。いささか強引ではあるが、彼がエアリエルで、監督のアンダーソンがプロスペローで、魔法を題材にした本ばかり読んでいるスージーがミランダだといってもいいだろう。また、音楽でブリテンの歌劇《真夏の夜の夢》が使用されていることにも注目しておきたい。
そんな物語の力も借りて、細部はひとつの世界になり、最終的に一点に集約される。サムとスージーが目指した“ムーンライズ・キングダム”は、決して取り戻すことができない貴重な時間、もはや存在しない大切な場所を意味している。 |