ウェス・アンダーソンがインドを舞台にした映画を実際にインドで撮るというのは、少し意外な気もする。『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』のドラマが、図書館から借り出された一冊の本のなかから膨らんでいったように、あるいは、『ライフ・アクアティック』の潜水艇や海の生き物が、明らかな作り物であったように、彼の映画は、一般に現実と呼ばれている世界を映し出そうとするのではなく、フィクションを前提としている。だとすれば、インドをセットで作っても不思議はない。
しかし、この映画を観れば、彼がインドにリアリティなど求めていないことがわかる。かといって、オリエンタリズムにはまっているわけでもない。三兄弟を仕切る長男は、“スピリチュアル・ジャーニー”を宣言しているが、インドはあくまで背景であり、突き詰めれば、すべては列車とバッグに集約されていくともいえる。
映画は、バッグをいくつも抱えた次男が、走り出した列車に飛び乗るところから始まり、ラストでも同じシチュエーションが繰り返される。だが、そのラストでは、列車が異なる意味を持っている。
旅の途中で列車から放り出された三兄弟は、たくさんのバッグを抱えながら、画面を列車の進行方向とは逆の方向へと歩いていくように見える。そして実際、彼らは、過去へとたどり着く。ある体験をきっかけに、彼らのなかに父親の葬儀の記憶が甦り、兄弟の絆を取り戻していくのだ。そんな彼らは、過去を清算し、未来に飛び乗る。
この映画のために内装を変えたこの世に存在しない列車と、この映画のためだけにデザインされたヴィトンのバッグ。そんなアイテムが未来と過去を象徴する『ダージリン急行』は、フィクションの地平を軽やかに走り抜けていく。 |