マイルストーン
Meel Patthar / Milestone


2020年/インド/ヒンディー語、パンジャブ語、カシミール語/カラー/98分
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(初出:)

 

 

妻を亡くし、仕事も失いかけたトラック運転手の心理を

抑制された演出と緻密な構成で細やかに描き出す長編第2作

 

[Introduction] 『Lost & Found』(14)や『Quest for a Different Quest』(15)などの短篇で注目を集めたインド映画の新鋭アイヴァン・アイルのデビュー作『ソニ』(18)につづく長編第2作。

[Story] 物語の舞台は、デリーにある物流の集配センター。主人公のガーリブは、そこで働くベテランのトラック運転手。センターではじめて走行距離50万キロを超えた彼は、もうひとりのベテラン、ディルバーグとともに同僚たちから尊敬されている。ところが、センターの荷積み要員たちがストに突入したため、自分で積み下ろしをしたガーリブは腰を痛めてしまう。ディルバーグは、夜目がきかなくなったことで二代目社長と揉めてしまい、あっさり解雇される。ガーリブは二代目社長から、ディルバーグが夜間だけ自分の代理にしようと仕込んでいた若い運転手パーシュの指導を押しつけられるが、次第に自分の座を奪われる不安に駆られていく。

[以下、本作のレビューになります]

 長編第2作となる本作は、デビュー作『ソニ』とはまったく異なる題材を扱っているが、そこには明らかに共通点がある。『ソニ』では、デリーの警察署を舞台に、若く短気な女性警官ソニと彼女を指導する冷静な女性上司カルパナの関係を中心に物語が展開する。本作では、ベテランの運転手ガーリブと彼が指導することになる若い運転手パーシュを中心に物語が展開する。また、どちらの作品も、主人公たちが私生活で抱える問題が巧みに織り込まれ、奥行きを生み出している。

 さらに、『ソニ』について、もうひとつ注目したい点がある。タイトルが示すように主人公は若い警官ソニだが、個人的には、彼女を指導しているカルパナの微妙な変化が印象に残った。それは、省略を生かして、ソニとの関係の影響を想像させるからだと思う。本作では、ガーリブの心理を描くうえで、そうした表現にさらに磨きがかけられている。

 本作のポイントになるのは、しばらく前に亡くなったガーリブの妻エタリアをめぐるガーリブと妻の家族との間の保証問題だ。故郷の村議会に呼び出されたガーリブは、帰郷して、亡妻の妹と父親と対面する。村議会の長サルパンチを交えた三者のやりとりから、シッキムに住む家族に仕送りをしていた妻に代わって、ガーリブが同義的責任を果たすよう求められていることがわかる。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本/編集   アイヴァン・アイル
Ivan Ayr
製作 キムシ・シン
Kimsi Singh
脚本 ニール・マニカント
Neel Mani Kant
撮影 アンジェロ・ファッチーニ
Angello Faccini
音楽 ゴータム・ナイール
Gautam Nair
 
◆キャスト◆
 
ガーリブ   スヴィンダル・ヴィッキー
Suvinder Vicky
パーシュ ラクシュヴィル・サラン
Lakshvir Saran
サルパンチの夫人 モヒンデル・グジラル
Mohinder Gujral
ディルバーグ グリンデル・マクナ
Gurinder Makna
ギル社長 ダルジート・シン
Daljeet Singh
二代目社長 アキレシュ・クマール
Akhilesh Kumar
エタリアの妹 ガウリカ・バッド
Gaurika Bhatt
エタリアの父 アルン・アセン
Arun Aseng
-
(配給:Netflix)
 

 ガーリブは、村議会が妻の家族を尊重し、自分のみが責任を問われることに不満を表わしつつも、応じる姿勢を示す。だが、10万ルピーの保証金を20万ルピーまで上げても、妻の妹は受け入れない。どうやら金額の問題ではないらしい。そこでサルパンチは、ガーリブに30日の猶予を与え、考えるように説得する。一般的な映画であれば、ここで重要になるのは、ガーリブがどんな答えを出すかだろうが、アイル監督が重視しているのは、時間が区切られることであるように思える。要するに、答えによって彼の変化を具体化するのではなく、30日の間に彼に起こるなんらかの変化を示そうとしているということだ。

 村から戻ったガーリブの周りで起こることは、偶然でありながらすべてつながっている。彼は、ディルバーグが解雇されたことを知り、若い運転手パーシュの育成を押しつけられる。アパートに戻ると、エレベーターが故障していて、車椅子の老人が放置されたり、宅配業者が階段を使って重い荷物を運ぶのを拒んだりで、住人たちが怒りを露わにしている。腰が痛いガーリブにとっても他人事ではない。そんな彼のもとに、ペンキ職人がやって来る。妻が亡くなる前にベランダの塗り替えを頼んでいたらしい。ガーリブはすげなく追い返そうとするが、エレベーターのことを思い出し、迎え入れる。

 そして、その夜に起こる騒ぎからの一連の流れは特に印象深い。アイル監督は、『ソニ』でも、ソニのアパートを背景に、彼女と元夫と隣人のおばさんを長回しを使って巧みに対置していたが、本作でもそんな視点と表現が生かされている。

 部屋で寝ていたガーリブは、外の騒ぎで目覚め、酔ったディルバーグが部屋を間違えて上階の住人と争っているのを知り、慌てて彼を部屋に引き入れる。泥酔したディルバーグは、誰も自分の話を聞かない、誰もが聞こえないふりをすると愚痴る。ここで思い出されるのは、ガーリブが帰郷したときに、妻の妹が、姉が毎日のように電話をかけてきて、夫が口をきかず、無関心だったとこぼしていたと語っていたことだ。

 このディルバーグが起こした騒ぎは終盤のドラマの伏線になるが、その間にガーリブの気持ちは、彼が指導する若い運転手パーシュとの関係をめぐって複雑に揺れていく。ガーリブは自分をどう見ているのか。パーシュが、ガーリブは仕事に献身的で、全身全霊を捧げているからみんなに尊敬されていると語ったとき、彼は、「外見で人を判断する者は本質を見誤る。人は見たい世界を現実と捉えがちだ」と語る。さらにその後、ディルバーグと酒を酌み交わしたときには、「俺が運転手をやるのは俺そのものだから。悲惨なのは事実だが、それも含めて俺だ」と語る。

 妻が亡くなってから仕事を倍にし、昼夜を問わず働き、アパートではなくトラックが家になっているガーリブは、そんなふうに自己を肯定するしかない。だから、パーシュに対して、失いかけている自分の座を金で買いとろうとまでする。しかし、終盤でその気持ちに変化が見られる。そこで生きてくるのが先ほどの伏線だ。

 アパートのベランダに上階から子供のおもちゃが落ちてきたことに気づいたガーリブは、それを届け、ディルバーグが起こした騒ぎを謝罪する。上階に住むカシミール人の妻は、彼を迎え入れ、お茶を振る舞う。ガーリブは、妻がよくそこにお茶を飲みにきていたことを知る。そこで彼は、夫婦関係が冷え切った事情を語る。

 ちなみに、ガーリブの妻の妹は、村議会でガーリブと対面するまで、姉が最後に電話で夫に伝えた言葉のことも聞かされていなかった。彼はこれまで妻のことを語ってこなかった。あるいは語る機会もなかった。そして、隣人と話してから間もなく、彼は思い立ったように故郷に足を運ぶが、なんらかの心境の変化がなければそんなことはしないだろう。

 本作で興味深いのは、画面に一度も登場することがない女性の存在だ。亡くなった妻のエタリア以外にもうひとり、そういう女性が存在する。弟のことをいつも心配して頻繁に電話をかけてくるパーシュの姉だ。本作の終盤では、パーシュがある事情で姿を消し、心配する姉とガーリブが連絡を取り合うが、妻をめぐるガーリブの変化がなければ、この姉への対応も違ったものになっていたように思える。

 さらにもうひとつ、本作に盛り込まれた様々なエピソードを結びつけるものとして雨がある。ガーリブの妻が亡くなった日には雨が降っていて、彼は渋滞に巻き込まれいていた。妻の家族が保証をめぐってやむなく村議会に頼ったのは、大雨で農作物が収穫できなかったからだ。ガーリブが働く集配センターの組合長がストに踏み切ったのは、洪水で村が沈んだからだった。そして、ラストでも、ガーリブとパーシュの姉が連絡を取り合っているときに雨が降り出す。

 本作はもちろん、トラック運転手を主人公に資本主義社会の現実をリアルに描いた映画といえるが、アイル監督の魅力は、それだけではない。主人公の周りでは、ばらばらに見える様々なことがみなつながっていて、それが主人公に影響を及ぼしている。アイル監督は、表面的には繰り返しにしか見えない時間のなかで起こっている微妙な変化を細やかに描き出している。

 

(upload:2021/10/30)
 
 
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