町でいちばんの美女/ありきたりな狂気の物語
Tales of Ordinary Madness  Storie di ordinaria follia
(1981) on IMDb


1981年/イタリア=フランス/カラー/100分/ヴィスタ
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(初出:オンライン・マガジン「ソフト・マシーン」1995年、若干の加筆)

 

 

快楽と母性に引き裂かれる痛みと閃き

 

 その昔、東京で開かれたイタリア映画祭で、『ありきたりな狂気の物語』として公開されたマルコ・フェレーリ監督の81年作品が、今回、『町でいちばんの美女』とタイトルをあらためて劇場公開されることになった。これは、ひとえにブコウスキー・ブームの賜物といっていいだろう。

 というのも、タイトルから察せられるように、この作品は、チャールズ・ブコウスキーの短編集『町でいちばんの美女』と『ありきたりの狂気の物語』(共に新潮社刊)に収められた何本かの短篇の断片を巧みに組み合わせ、ひとつの物語にまとめあげたものなのだ。そんなわけで、巷では、あのブコウスキーの原作を映画化した作品というように喧伝されているのだが、その中身はまぎれもなくフェレーリの世界である。

 映画はロサンジェルスを舞台に、ブコウスキーの分身である飲んだくれの詩人チャールズと美しい娼婦キャスとの出会いと別れが描かれる。聞くところによれば、この映画を見たフェレーリのファンのなかには、意外にまともな映画でちょっと肩透かしを食らったというような意見もあったらしい。

 確かにここには、欲望をむさぼり尽くすような凄まじい饗宴があるわけではないし、古代と未来のはざまで宙づりにされた男女が、男と女や家族の絆をめぐって奇妙な駆け引きを繰り広げるようなヴィジョンがあるわけでもない。猿との疑似家族や海辺に横たわるキングコング、男の口笛に答えるセクシーなキーホルダーといった象徴的なイメージやガジェットも見当たらない。

 この映画は一見すると、これといった仕掛けもなく、ありのままのドラマを描いているように見える。にもかかわらず、ごく自然にフェレーリらしさが立ち上がってきて、最終的にはしっかりと彼の世界にまとめ上げられる。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   マルコ・フェレーリ
Marco Ferreri
脚本 セルジオ・アミディ
Sergio Amidei
原作 チャールズ・ブコウスキー
Charles Bukowski
撮影 トニーノ・デリ・コリ
Tonino Delli Colli
編集 ルゲロ・マストロヤンニ
Ruggero Mastroianni
音楽 フィリップ・サルド
Philippe Sarde
 
◆キャスト◆
 
チャールズ   ベン・ギャザラ
Ben Gazzara
キャス オルネラ・ムーティ
Ornella Muti
ヴィッキ タニヤ・ロペール
Tanya Lopert
ヴェラ スーザン・ティレル
Susan Tyrrell
バーテン ロイ・ブロックスミス
Roy Brocksmith
海辺の少女 カティア・バーガー
Katya Berger
-
(配給:日本スカイウェイ)
 

 たとえば、フェレーリ作品の重要な要素になっている母性だ。この映画では、それが実にさり気ない流れのなかから浮かび上がってくる。主人公の詩人と娼婦の絆は、いまにも崩れそうな不安定なもので、女が姿を消してしまうこともあれば、男が他の女を連れ込んで、冷酷な仕打ちに出ることもある。そんななかで追い詰められる詩人は、救いを求めて丸々と太った女に会いに行く。そして、女を肉体的にねじ伏せようと奮闘するが、逆に落ち込み、浮浪者として町を彷徨いだす。

 そこで、『最後の晩餐』を思いだしてみよう。男たちは、彼らが呼んだ娼婦たちが退散してしまった後、そこに残った太った女の教師によって死に導かれていく。フェレーリ作品の男たちは、母性を求めると同時に、それを恐れ、この映画の詩人のように、母性を快楽の対象にすり替えようともがきながら、力尽きていく。

 この映画には、詩人をめぐって何人かの女たちが登場するが、その流れは何とも象徴的だ。最初に詩人が尾行してモノにする女は、強姦願望を持つセックスマニアで、それから美しい娼婦キャスに出会い、今度は太った女が登場する。要するに、キャスというのは、快楽と母性の狭間で、自分の肉体を傷つけている危うく儚い存在といえる。

 主人公の詩人は、キャスの快楽と母性に導かれるように創作のインスピレーションを得る。それは引き裂かれるような苦痛であり、恍惚でもあるのだろう。汚れたアパートで、傷ついた娼婦を背にして、酒を浴びながらマシンガンのようにタイプライターを叩く男の姿には鬼気迫るものがある。

 この映画は、多くのフェレーリ作品がそうであるように、都市への言及で始まり、海辺で幕を下ろす。その海辺で詩人は、偶然出会った少女の美しい肉体に、失われたキャスの快楽と母性を垣間見る。そんなラストには胸を締めつけられることだろう。


(upload:2013/01/09)
 
 
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