マン・オン・ザ・ムーン
Man on the Moon


1999年/アメリカ/カラー/119分/スコープサイズ
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(初出:「STUDIO VOICE」2000年6月号、若干の加筆)

 

 

“トゥルーマン・ショー” から
“アンディ・カフマン・ショー” へ

 

 ミロシュ・フォアマンの新作『マン・オン・ザ・ムーン』に描かれるのは、実在のコメディアン、アンディ・カフマン(1949〜1984)の物語だ。そのアンディは、コメディアンというよりは、むしろそうみなされることを最大限に利用し、独自の世界を作ってしまった芸人というべきかもしれない。彼は必ずしも芸によって、笑いをとったり愛されることを求めていたわけではないからだ。

 たとえば彼は、まったく似ていないカーター大統領の物真似などで観客を戸惑わせた後で、エルヴィスの物真似を見事にきめ、喝采を浴びる。そんな時彼が本当に求めていたのは、喝采よりも観客の戸惑いだろう。さらに彼は、観客に紛れたさくらに自分の芸に対する因縁をつけさせたり、別の芸人に変装して客にからんだりして、喧嘩をはじめる。観客はそれが演出なのか判断しかね、緊張を強いられる。 そしてついには、テレビのトークショーで乱闘騒ぎを引き起こしたり、男女無差別級プロレスの王者を自称し、女性や南部人を挑発して敵に回してしまう。要するに彼の魅力は、刹那的な解放としての笑いではなく、抑圧から導かれる覚醒にある。

 そんなアンディの物語は、ジム・キャリーにとって格好の題材だといえる。『ケーブル・ガイ』『ライアーライアー』から『トゥルーマン・ショー』に至る近年のジムは、単純な笑いによる解放よりも抑圧をめぐるドラマを通して確実に変貌し、異彩を放っているからだ。なかでも間違いなく彼のキャリアの分岐点になるのは前作の『トゥルーマン・ショー』だが、新作はそれに匹敵する。 というよりも、この『マン・オン・ザ・ムーン』は、裏返し(あるいは逆さ読み)の『トゥルーマン・ショー』になっている。

 50年代、アンディ少年は、自分の部屋の壁に向かってひとりで芸に打ち込んでいる。このエピソードは、部屋の壁にテレビカメラがあって、どこかで放送されていると信じ、そこに向かってショーをやっていたというアンディ自身のコメントがもとになっている。以来、彼の人生は見られることが鍵を握りつづけるが、下積みからはい上がった彼が決定的な成功を収めたとき、 彼を見つめていたのは望み通りの視聴者や観客ではなかった。

 彼をスターにしたのは、国民的な人気を誇るシットコム「Taxi」。彼はプロモーターの説得でこの番組に出演するが、決して本意ではなかった。「シットコムは最低の娯楽だ。中身といえば、くだらないジョークに、わざとらしい笑い声。あの効果音は死人の笑い声だ」と彼は語る。


◆スタッフ◆

監督
ミロシュ・フォアマン
Milos Forman
脚本 スコット・アレクサンダー/ラリー・カラズウスキー
Scotto Alexander/Larry Karazewsky
撮影監督 アナスタス・ミチョス
Anastas N.Michos
編集 クリストファー・テレフセン/リンジー・クリングマン
Christopher Tellefsen/Lynzee Klingman A.C.E.
音楽 R.E.M.

◆キャスト◆

アンディ・カフマン
ジム・キャリー
Jim Carrey
ジョージ・シャピロ ダニー・デビート
Danny DeVito
リン・マーグリーズ コートニー・ラヴ
Courtney Love
ボブ・ズムダ ポール・ジアマッティ
Paul Giamatti
メイナード・スミス ヴィンセント・スキアヴェリー
Vincent Schiavelli
エド・ウィンバーガー ピーター・ボナース
Peter Bonerz
 
 


 このアンディの立場は、トゥルーマンのそれと対比してみると興味深い。トゥルーマンの場合は、本当に家中に隠しカメラがあり、生まれたときから本人が知らないうちにずっと見られつづけている。しかも彼を主人公にしたシットコムによって、国民的なスターにもなっている。シットコム的な世界しか知らない彼は、自分という現実をホーム・ドラマのように生き、 そのことが、不毛な日常を生きる視聴者に癒しをもたらし、共感を呼んでいるからだ。

 そのトゥルーマンとアンディは、ともにその空虚なシットコムの世界から脱出しようとするが、その行為は彼らをまったく対照的な地平へと追いやる。

 トゥルーマンが真実に迫るとき、視聴者の共感を呼んだ現実は、彼らを抑圧してきた虚構に変わる。それゆえ視聴者は脱出を試みる彼に声援を送る。その脱出とは見られつづけることから解放されることを意味する。その瞬間、彼は現実を手にすることができる。

 アンディもまた、視聴者や観客に対して、現実や自己への覚醒の糸口となる抑圧を生みだすという意味では、トゥルーマンに通じている。しかし芸人である彼は、見られることによってしかそれを成しえない。そこで彼は、TVドラマのなかで台本にない喧嘩を仕掛けて、役者たちと取っ組み合いを繰り広げたり、プロレスで観客や視聴者を挑発する。 その結果、確かに彼はシットコムの世界から抜けだす。しかし、抑圧を生みだそうとすればするほど、彼という存在そのものが見られることの深みにはまり、虚構へと追いやられていく。メディアや視聴者は、抑圧を次第にやらせや刺激として消費しだすからだ。そして彼が癌に冒されても、家族すらそれを信じることができなくなるのだ。

 この映画はアンディが、スクリーンの向こうから観客であるわれわれに話しかけるところから始まる。彼は、映像のトリックを使って彼のユーモアを理解しない観客を追い払い、スクリーンの隅から親しげにわれわれに話しかけてくる。そして自分の葬儀の場でも彼は映像を通して参列者に語りかける。そんな向こう側の住人のイメージは、 彼がどこかで生きているという信仰に繋がるよりも、虚構に包囲された世界のなかでひとり現実を生きる”トゥルーマン・ショー”の主人公を見ているような錯覚をもたらす。

 アンディが繰り出す抑圧を視聴者が徹底的に消費するとき、自分でも気づかないうちに彼の人生はまさに”アンディ・カフマン・ショー”と化す。この現代を象徴する深い孤立感を自然に表現できるのは、おそらくジム・キャリーだけだろう。


(upload:2001/01/14)
 

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