グラン・ブルー 完全版 〜デジタル・レストア・バージョン〜
Le Grand Bleu  Le grand bleu
(1988) on IMDb


1988年/フランス=イタリア/カラー/169分/シネマスコープ/ドルビーSR
line
(初出:『グラン・ブルー 完全版 〜デジタル・レストア・バージョン〜』劇場用パンフレット)

 

 

ベッソンが自身を投影した、海に育まれた男たちの物語

 

 リュック・ベッソンが1988年に発表した『グラン・ブルー』には、この監督の原点が描き出されている。主人公のジャック・マイヨールは伝説のフリーダイバーだが、この映画は、ジャックの物語であると同時に、ベッソン自身の物語にもなっているのだ。

 パリに生まれたベッソンは、両親がクラブ・メッドでダイビングのインストラクターの仕事をしていたため、少年時代のほとんどをイタリアやギリシャ、旧ユーゴスラビアなど地中海沿岸で過ごした。そして彼が10歳のときにふたつの重要な出来事が起こる。

 イルカに遭遇し、食べて遊んで愛し合うだけというそのシンプルな生活に魅了された彼は、イルカを研究する海洋生物学者になることを夢見るようになる。しかし一方では、両親がフランスに戻って離婚し、やがてそれぞれに再婚する。

 このふたつの出来事は、ベッソンを孤独にした。10代の彼は、海の世界から離れてパリの学校に通うときには、あまりの退屈さに辟易し、そんな日常から逃れるために様々な物語を書いていた。

 そして、17歳のときにダイビング中の事故で潜ることができない身体になり、海洋生物学者の夢を断たれると、いっそう虚構の世界にのめり込むようになる。そんな彼は、海に育まれた感性を表現する可能性を映画に見出し、フランスとアメリカの撮影現場で経験を積み、独自の映像世界を切り拓いていく。

 『グラン・ブルー』のジャックの物語には、そんなベッソンの軌跡が様々なかたちで投影されている。筆者がまず注目したいのは、ジャックの孤独や閉ざされた世界が、映像を通して巧みに表現されているところだ。ジャックは海の申し子だが、少年時代のプロローグにつづいて成長したジャックが登場してくるとき、ベッソンは故意に彼と海を切り離して描いている。

 ジャックは、ペルーの氷に覆われた湖で実験に協力し、コート・ダジュールに戻ると水族館を訪れ、その後は海ではなくプールに潜る。これが何を意味するのかは、プロローグがジャックの父親の死で締め括られていたことを思い出せば、自ずと明らかになるだろう。ジャックは子供時代と同じように海に惹かれているが、海で命を落とした父親の記憶に縛られ、その気持ちを抑えようとしている。

 ベッソンは、そんなジャックの状況をイルカと結びつけてみせる。ジャックはイルカの写真を持ち歩いている。彼にとってはイルカが家族だが、それが水族館で飼育されているイルカであることに注目する必要がある。なぜならベッソンは、海に踏み出せないジャックを、水族館に閉じ込められたイルカに重ねているからだ。

 ジャックは自分を見失いつつあり、だからこそエンゾとの再会やジョアンナとの出会いが特別な意味を持つことになる。この映画の中盤には、ジャックがエンゾとジョアンナの協力を得て、水族館のイルカを海に連れ出す場面があるが、エンゾとジョアンナもそれぞれにジャックを海に呼び戻す役割を果たすのだ。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   リュック・ベッソン
Luc Besson
脚本 ロバート・ガーランド、ジャック・マイヨール、他
Robert Garland, Jacques Mayol
撮影 カルロ・ヴァリーニ
Carlo Varini
編集 オリヴィエ・モフロワ
Olivier Mauffroy
音楽 エリック・セラ
Eric Serra
 
◆キャスト◆
 
ジャック   ジャン=マルク・バール
Jean-Marc Barr
エンゾ ジャン・レノ
Jean Reno
ジョアンナ ロザンナ・アークェット
Rosanna Arquette
ローレンス博士 ポール・シーナー
Paul Shenar
ノヴェッリ セルジュ・カステリット
Sergio Castellitto
-
(配給:角川映画)
 

 ジャックとエンゾは、フリーダイビングのよきライバルとして記録を競い合っているように見える。しかしそれと同時にエンゾは、ジャックを“グラン・ブルー”へと導いている。映画のプロローグとラストが同じギリシャの海であることも、そんなふたりの関係を際立たせる。プロローグの最後に映し出されるのは、岩場からジャックの父親の死を目撃し、悲痛な表情でジャックに呼びかけるエンゾ少年の姿だった。

 成長したエンゾは、ジャックを海に呼び戻し、そして思い出の海で力尽きるが、彼が遺す最期の言葉が、父親の喪失に起因するジャックの心の傷を癒す。ジャックがエンゾの最期の望みを叶えるとき、ふたりは、生と死の境界を消し去るようなグラン・ブルーに包み込まれる。そして、エンゾを通して父親の死を乗り越えたジャックの前には無限の海が広がっている。

 では、ジョアンナはどんな役割を果たすのか。彼女とジャックの関係については、ジャックが彼女を選ぶのかイルカを選ぶのか、陸を選ぶのか海を選ぶのかという二者択一しか許されず、ふたりは引き裂かれていくように見える。しかし、ベッソンが描いているのは、それほど単純な二者択一ではない。

 父親の死の記憶に縛られたジャックは、肉体的には成長を遂げても、精神的にはまだ子供に近い。ジョアンナはそんな彼を大人にする。そして彼が精神的に成長することによって、イルカや海との繋がりがより深いものになっていく。ジョアンナとジャックが初めて愛を交わした後で、彼が一晩中イルカと泳いでいるのは、より深く繋がる喜びを示唆している。その繋がりは、ジョアンナなくしてはありえない。

 ベッソンが、ジャックとエンゾとジョアンナの関係を通して表現するのは、単なる友情や愛ではない。ジャックにとってそれは自分が何者であるのかを見極める通過儀礼となり、エンゾとジョアンナは、ジャックと海を結ぶ架け橋となる。そんな関係からは、海に育まれたベッソンならではの世界観が浮かび上がってくる。


(upload:2011/01/04)
 
 
《関連リンク》
リュック・ベッソン監督論 ■
『ジャンヌ・ダルク』 レビュー ■
エリック・セラ・インタビュー 『ジャンヌ・ダルク』 ■

 
 
amazon.co.jpへ●
 
ご意見はこちらへ master@crisscross.jp