リュック・ベッソンが1988年に発表した『グラン・ブルー』には、この監督の原点が描き出されている。主人公のジャック・マイヨールは伝説のフリーダイバーだが、この映画は、ジャックの物語であると同時に、ベッソン自身の物語にもなっているのだ。
パリに生まれたベッソンは、両親がクラブ・メッドでダイビングのインストラクターの仕事をしていたため、少年時代のほとんどをイタリアやギリシャ、旧ユーゴスラビアなど地中海沿岸で過ごした。そして彼が10歳のときにふたつの重要な出来事が起こる。
イルカに遭遇し、食べて遊んで愛し合うだけというそのシンプルな生活に魅了された彼は、イルカを研究する海洋生物学者になることを夢見るようになる。しかし一方では、両親がフランスに戻って離婚し、やがてそれぞれに再婚する。
このふたつの出来事は、ベッソンを孤独にした。10代の彼は、海の世界から離れてパリの学校に通うときには、あまりの退屈さに辟易し、そんな日常から逃れるために様々な物語を書いていた。
そして、17歳のときにダイビング中の事故で潜ることができない身体になり、海洋生物学者の夢を断たれると、いっそう虚構の世界にのめり込むようになる。そんな彼は、海に育まれた感性を表現する可能性を映画に見出し、フランスとアメリカの撮影現場で経験を積み、独自の映像世界を切り拓いていく。
『グラン・ブルー』のジャックの物語には、そんなベッソンの軌跡が様々なかたちで投影されている。筆者がまず注目したいのは、ジャックの孤独や閉ざされた世界が、映像を通して巧みに表現されているところだ。ジャックは海の申し子だが、少年時代のプロローグにつづいて成長したジャックが登場してくるとき、ベッソンは故意に彼と海を切り離して描いている。
ジャックは、ペルーの氷に覆われた湖で実験に協力し、コート・ダジュールに戻ると水族館を訪れ、その後は海ではなくプールに潜る。これが何を意味するのかは、プロローグがジャックの父親の死で締め括られていたことを思い出せば、自ずと明らかになるだろう。ジャックは子供時代と同じように海に惹かれているが、海で命を落とした父親の記憶に縛られ、その気持ちを抑えようとしている。
ベッソンは、そんなジャックの状況をイルカと結びつけてみせる。ジャックはイルカの写真を持ち歩いている。彼にとってはイルカが家族だが、それが水族館で飼育されているイルカであることに注目する必要がある。なぜならベッソンは、海に踏み出せないジャックを、水族館に閉じ込められたイルカに重ねているからだ。
ジャックは自分を見失いつつあり、だからこそエンゾとの再会やジョアンナとの出会いが特別な意味を持つことになる。この映画の中盤には、ジャックがエンゾとジョアンナの協力を得て、水族館のイルカを海に連れ出す場面があるが、エンゾとジョアンナもそれぞれにジャックを海に呼び戻す役割を果たすのだ。 |