クリムゾン・リバー
Les Rivieres Pourpres  Les rivieres pourpres
(2000) on IMDb


2000年/フランス/カラー/106分/シネスコ/ドルビーデジタル・DTS
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(初出:『クリムゾン・リバー』劇場用パンフレット、若干の加筆)

 

 

優れた血という幻想を生み出す邪悪な環境

 

 このフランス映画の大作『クリムゾン・リバー』を観ながら、デイヴィッド・フィンチャー監督のヒット作『セブン』のことを連想する人はけっこう多いのではないかと思う。最初に、あまりにも異様で無残な死体が発見され、それが謎に満ちた連続殺人事件へと発展していく。そして、多くの修羅場を潜り抜けてきたベテランの刑事と、野心的で血の気の多い駆け出しの刑事のコンビが、この猟奇的な事件の捜査に乗り出す。

 というよりも、彼らは何者かに導かれるように、事件の背後にある深い闇に引き込まれていく。確かに、こうした設定やキャラクターには『セブン』に通じるところがあり、 実際、海外のメディアでも、この映画を『セブン』と比較するレビューが目立っていた。

 しかし、事件に隠された秘密がすべて明らかになってから、あらためて作品全体を振り返ってみると、そんな印象が変わってくるのではないだろうか。つまり、壮大なアルプス山脈のふもとにある学園都市ゲルノンや、ふたりの刑事たちの存在が象徴するものは、表面ではなく本質的なところで、『セブン』とは異質な世界を作り上げているということだ。

 この映画については、物語の性質上、真相の部分に細かく言及することは避けようと思うが、実は筆者は、この映画を観ながら、『セブン』とはまったく違う映画を連想していた。それは、アンドリュー・ニコル監督の『ガタカ』だ。この作品は未来を舞台にしたSF映画だけに、表面的な設定は『クリムゾン・リバー』とかなり隔たりがあるように見えるが、本質的なところでは共鳴する要素が多々ある。

 『ガタカ』の舞台は、遺伝子工学が格段の進歩をとげている近未来の世界。裕福な家庭では、子供を作るにあたって受精の段階で劣勢の遺伝子を排除し、優れた遺伝子を備えた子供をデザインすることが日常化している。その結果、この社会ではデザインされた適正者が、劣勢の遺伝子を持つ不適正者たちを支配している。主人公は、自然のままに生まれ育った不適正者だが、適正者だけを集めて育成する企業であるガタカ社に紛れ込み、宇宙飛行士となってこの耐え難い世界を出ていこうとする。

 ここまで書けば、『クリムゾン・リバー』と共鳴する要素というのも見えてくるのではないかと思う。この『ガタカ』の適正者と不適正者をめぐるドラマは、非常に興味深いものがある。適正者は、いくら優れた遺伝子を備えているとはいえ、それはあくまでテクノロジーの産物であり、結局は個性を失い、自分の意志で何かを変えるという姿勢を持たなくなってしまう。

 これに対して、不適正者は、遺伝子は劣っているかもしれないが、状況、感情、意志などによって、予想もできないような能力を発揮することがある。そして、不適正者のこの人間的な部分が、適正者の心を揺り動かすようなことも起こる。

 『クリムゾン・リバー』の舞台となる学園都市ゲルノン。人間性を無視して、優れた人間たちの王国を築きあげようとするこの閉鎖的な世界は、さながらガタカ社である。内部の人間の行動を厳しく監視し、彼らの未来さえも決定していく重々しく高圧的な学園の図書館のイメージ。そんな視覚的な表現までもが、ガタカ社内部の監視システムの空気と通じ合っている。


◆スタッフ◆

監督/脚本
マチュー・カソヴィッツ
Mathieu Kassovitz
脚本 ジャン=クリストフ・グランジェ
Jean-Christophe Grange
製作 アラン・ゴールドマン
Alan Goldman
撮影監督 ティエリー・アルボガスト
Thierry Arbogast
編集 マーリーン・モンシュ
Maryline Monthieux
音楽 ブルーノ・クレ
Bruno Coulais

◆キャスト◆

ピエール・ニーマンス
ジャン・レノ
Jean Reno
マックス・ケルケリアン ヴァンサン・カッセル
Vincent Cassel
ファニー・フェレイラ ナディア・ファレス
Nadia Fares
シスター・アンドレ ドミニク・サンダ
Dominique Sanda
キャプテン・ダーメイン カリム・ベルカードラ
Karim Belkhadra
ドクター・ベルナール・シェルネゼ ジャン=ピエール・カッセル
Jean-Pierre Cassel
(配給:ギャガ・ヒューマックス)
 


 そして、事件に導かれるように出会い、ゲルノンの闇に分け入っていくふたりの刑事は、この不適正者の魅力を漂わせている。ニーマンスは、一匹狼で屈強な男だが、犬には手も足も出ない。 マックスは抜群の行動力を持っているが、キレて暴走することもある。そんな彼らの人間性が、”深紅なる川の支配者”の王国に揺さぶりをかけていく。

 そういうところにこそ、監督マチュー・カソヴィッツのこだわりがある。これまで彼は、作品を発表するたびに、現代社会を異なるアプローチで描き出してきた。長編デビュー作の『カフェ・オ・レ』では、人種が異なる男女の奇妙な三角関係を、ひねりの効いたコメディ・タッチで描いた。

 カンヌ映画祭の監督賞に輝いた『憎しみ』では、移民労働者の家庭に育った三人の若者たちが体験する二十四時間の出来事を、モノクロの非情なリアリズムで描いた。そして、『アサシンズ』では、世代の異なる三人の殺し屋たちの絆を、リアリズムとは対照的な、 テレビやゲームの影響を反映した毒々しく過剰な映像で描いてみせた。

 そんなカソヴィッツ作品を知る人にとって、この新作は、一見かなり異質な作品に見えることだろう。これまでオリジナルのストーリーを監督してきた彼が、ベストセラー小説を映画化し、ミステリー、ホラー、スリラー、アクションに満ちた娯楽大作を作り上げたからだ。しかしながらこの映画は、先述した「ガタカ」と共鳴する要素を通して、これまでのカソヴィッツ作品に連なる作品になっている。

 カソヴィッツの魅力は、人間がいかに環境に左右され、支配されていくのかを、冷静にとらえる眼差しにある。たとえば、『カフェ・オ・レ』や『憎しみ』から浮かび上がる人種というテーマ。私たちは人種というと、そこに最初から明確な境界線が引かれているように思いがちになる。しかしカソヴィッツは、民族や血ではなく、まず何よりも環境が、人種や人種に絡む問題を生みだすと考える。

 『カフェ・オ・レ』で同じ女性を追いかけるふたりの若者のコントラストは、それをよく物語っている。家が貧しいユダヤ系のフェリックスは、ヒップホップなどブラック・カルチャーにどっぷりと漬かっている。一方、外交官を父に持つアフリカ系のジャマルは、白人社会に溶け込んでいる。

 そんな彼らの立場の転倒は、警官とのいざこざで最高潮に達する。ジャマルのことを特別な目で見る警官が彼を連行しようとしたとき、ここぞとばかりに警官に食ってかかるのはフェリックスで、ジャマルの方は逆にそんなフェリックスに向かって、”スパイク・リー”を気取るなと言って腹を立てるのだ。 彼らはそんなふうに環境に振り回されながら、自分に目覚めていく。

 『憎しみ』でも異なる視点から環境と人種の関係が描かれる。三人の主人公のうち、ユダヤ系とアラブ系の若者は、バンリュー(低家賃住宅)に押し込まれていることや警察の横暴に不満を募らせ、怒りが爆発しかけている。これに対してアフリカ系の若者は彼らの衝動を抑えようとする。なぜなら彼は人種差別の歴史を踏まえ、世の中を冷静に見ているからだ。ところが、環境がそんな彼の冷静さを奪うとき、他のふたりの衝動的な怒りとは比較にならない深い憎しみが行動に変わる。

 現代社会では、人間は民族や血そのものよりも環境に縛られている。その環境が血を明確な境界に変え、悲劇を生む。『クリムゾン・リバー』の”深紅なる川の支配者”には、環境を通して優れた血という幻想を作りだす邪悪な世界を意味している。設定は「憎しみ」とは正反対だが、この映画でも、環境が人間を支配し、悲劇を招き寄せる。そして、人間性を無視したこの邪悪な世界は、深紅とは対照的な白に象徴される自然の巨大な力によって罰せられることになるのである。


(upload:2001/07/08)
 


《関連リンク》
フランスにおける移民をめぐる問題 ■
『アサシンズ』レビュー ■
マチュー・カソヴィッツ・インタビュー ■

 
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