ヴィンセントがガタカ社に潜入することを可能にしているのも、このような遺伝子に対する盲信なのだ。ガタカ社では毎日遺伝子チェックが行われるが、それさえ間違いなければ、容姿がいくらか違うことなど怪しまれることもない。そこで彼は、日々体毛や爪などを処理し、ジェロームから尿や血液のサンプルをもらい、それを巧みに隠し持ち、正体を隠しつづけているのだ。
不適正者のヴィンセントと適正者のジェロームは、それぞれに過去にある決定的な出来事があり、それゆえにまったく対照的な道を歩もうとしている。監督/脚本のアンドリュー・ニコルは、彼らの違いを、水泳を通して見事に際立たせる。
ジェロームは、トップクラスの水泳選手だったが、たった一度の敗北に耐えきれず、自ら未来への希望を断った。ヴィンセントには適正者の弟がいて、兄弟は幼い頃から遠泳で競い合っていた。彼はいつも弟にまったく歯が立たなかったが、ある時弟を負かすという体験をし、困難な挑戦を決意した。
ヴィンセントは、ジェロームとは対照的に唯一の勝利に自分の真理を見出し、人間が遺伝子を運ぶただの入れ物にすぎないという命題が支配するディストピアに、たったひとりで挑戦しようとする。それゆえに特撮もない遠泳のイメージがとても深い意味を持つことになる。
この映画では、ヴィンセントの挑戦のドラマが、次第にノワール的な魅力を漂わせるようになる。彼の上司が社内で他殺体で見つかり、捜査の結果、社内から不適正者、すなわち彼のまつ毛が発見されてしまうのだ。すると警察は、犯人の動機や他の証拠も無視し、不適正者の割りだしに全力を傾ける。それは、捜査にあたっているのがヴィンセントの弟であるからだが、これまでヴィンセントに希望をもたらしてきた遺伝子に対する盲信が、皮肉にも今度は犯人でもない彼を窮地に陥れることになる。
ヴィンセントは、宇宙に向かうロケットを目の前にして絶体絶命の危機に陥るが、遠泳で見出した真理が意外な展開を招き寄せるラストには、誰もが胸をしめつけられることだろう。 |