恋に落ちる確率
Reconstruction  Reconstruction
(2003) on IMDb


2003年/デンマーク/カラー/92分/スコープサイズ/ドルビーデジタル
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(初出:「CDジャーナル」夢見る日々に目覚めの映画を39より抜粋のうえ若干の加筆)

 

 

個人の主観的な世界、現実と虚構に関わらず
映画という表現が生み出してしまうリアリティ

 

[ストーリー] かわいいガールフレンドがいて、友達に囲まれ、コペンハーゲンの街で楽しく日常を送っていたアレックス。ところが、突然、運命の女性に出会い、恋に落ちた瞬間から、アレックスの周囲に、不可解な変化が起きる。アパートの部屋は忽然と姿を消し、友人は顔をあわせてもアレックスだと分からない。ガールフレンドのシモーヌさえ、アレックスのことなど知らないと言うのだ。運命の女性を手に入れることと引き替えに、慣れ親しんだ日常を失ってしまったアレックス。これは、運命の恋のせいなのか?

 一方、アレックスの運命の女性は、彼が未知の世界に足を踏み入れ、愛のためにすべてを賭けるのを待っている。運命は、アレックスの行動にかかっている。彼は、全てを捨て、彼女だけを選ぶことができるのか? それができなければ、恋の魔法は解けてしまう――。[プレスより]

 デンマークの新鋭クリストファー・ボー監督の長編デビュー作『恋に落ちる確率』に登場するのは、写真家のアレックスと恋人のシモーネ、小説家のアウグストと妻のアイメの四人だ。ある日、アレックスは、美しい女性アイメに出会い、恋に落ちる。ところが、その瞬間から彼を取り巻く世界が変わってしまう。彼のアパートは消え、恋人も親しい友人も彼を知らないという。彼はそんな状況のなかで、運命の恋にすべてを賭けるかどうかの選択を迫られる。

 そのスタイルはまったく違うが、この映画は、ウディ・アレンの『地球は女で回ってる』(97)を思い出させる。その原題が“Deconstructing Harry”であることは、記憶しておいてもいいだろう。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   クリストファー・ボー
Christoffer Boe
脚本 モーゲンス・ルーコフ
Mogens Rukov
撮影 マヌエル・アルベルト・クラロ
Manuel Alberto Claro
編集 ミッケル・E・G・ニールセン、ピーター・ブランド
Mikkel E.G. Nielsen, Peter Brandt
音楽 トーマス・ナック
Dickon Hinchliffe
 
◆キャスト◆
 
アレックス・デヴィッド   ニコライ・リー・コス
Nikolaj Lie Kaas
アイメ・ホルム / シモーヌ マリア・ボネヴィー
Maria Bonnevie
アウグスト・ホルム クリスター・ヘンリクソン
Krister Henriksson
レオ・サンド ニコラス・ブロ
Nicolas Bro
メル・デヴィッド ピーター・スティーン
Peter Steen
モニカ イーダ・ドゥインガー
Ida Dwinger
バヌム夫人 マレーン・シュワルツ
Malene Schwartz
-
(配給:アーティストフィルム、
ビターズエンド)
 

 『地球は女で回ってる』の主人公は売れっ子の小説家だが、現実の世界では周囲から孤立しかけている。というのも彼は、別れた妻たち、愛人、友人、家族のプライバシーをほとんどそのまま滑稽な小説の題材にしているからだ。映画はそんな主人公の現実の世界と虚構の世界を、別のキャストを使って対置するように描く。

 彼は現実を食い物にしながら、彼が創造した人物たちとともに、それがまるで現実であるかのように虚構の世界を生きている。つまり、彼は現実逃避していると同時に、彼が逃避した虚構の世界が一人歩きを始め、リアリティにおいて現実を越えてしまうのである。

 『恋に落ちる確率』では、現実と虚構がさらに複雑に入り組み、境界を曖昧にし、そんな空間を通して、個人の主観的な世界や、現実や虚構にかかわらず映画という表現が生み出してしまうリアリティというものが掘り下げられていく。

 この映画には、念入りな前置きや仕掛けがある。まず原題は、“Reconstruction”である。『地球は女で回ってる』がDeconstruct(脱構築)されるのに対して、こちらでは世界がReconstruct(再構築)される。導入部には、両手の間で煙草が宙に浮くマジックがあり、「これは映画であり、作り話だ」という断りがあり、小説家アウグストによる自分自身も含めた四人の登場人物の紹介がある。彼は本編でも、このドラマを思わせる小説を書き進めていく。そして、アイメとシモーヌは別人に見えるが、実は一人二役なのだ。

 そうした仕掛けは、たとえ奇妙なことが起きても、そこには何の境界もなく、すべては同じ次元にあることを示唆する。そんな世界では、男女の出会いや関係が、始まりと終わりやお互いを知る知らないをめぐって転倒していく。アレックスとアイメの再会が、彼女にとっては突然、最初の出会いに変わり、アレックスが彼を知らないシモーヌに別れを告げることが、始まりの空気を醸しだす。こうして彼は、繰り返される最初の出会いや最初のキスに誘惑、翻弄されていく。

 アレックスはアイメに、人が分岐点に立つとき、留まるか、飛びだす以外に、本人にしかわからない第三の選択肢があるとしたり顔で語っていたが、彼はまさにそんな本人にしかわからない心の痛みを体験することになる。クリストファー・ボー監督は、アレンとは異なるアプローチで、個人の主観的な世界、そして映画が生み出すリアリティを掘り下げ、独自の映像空間を切り拓いている。


(upload:2015/05/16)
 
 
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