コン・ティキ
Kon-Tiki  Kon-Tiki
(2012) on IMDb


2012年/イギリス=ノルウェー=デンマーク=ドイツ/カラー・モノクロ/113分/スコープサイズ
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(初出:『コン・ティキ』劇場用パンフレット)

 

 

自然と人間の関係を問い直す伝説の航海

 

 ヨアヒム・ローニングとエスペン・サンドベリが監督した映画『コン・ティキ』の主人公は、ノルウェーの人類学者トール・ヘイエルダール。若い頃に『コン・ティキ号探検記』を読み、彼に憧れたという人も少なくないだろう。かくいう筆者もそのひとりである。それだけに、伝説の航海を映画化したこの作品を観ると、かつて本で味わった興奮が、映像による臨場感をともなってダイナミックに甦ってくる。

 しかし、この映画で最も印象に残るのはそのことではない。コン・ティキ号がペルーの港から航海に乗り出したのは戦後間もない1947年のこと。それから現在までに、世界も、人間と自然の関係も大きく変わっている。

 まず戦後のアメリカから大量消費時代が始まり、世界に広がっていった。開発の名のもとに自然破壊が進んだ。そんな状況から危機意識が芽生え、自然との関係に徐々に関心が向けられるようになる。1960年代には専門分野以外ではほとんど知られていなかったエコロジーという言葉が、70年代には広く認知され、運動にまで発展する。さらに地球温暖化の問題が表面化した現在では、エコロジーの意識が日常生活にも浸透している。

 そのエコロジーの背景には、環境倫理学という新たな哲学がある。環境倫理学の創始者のひとりJ・ベアード・キャリコットはその著書『地球の洞察』の冒頭で、このようなことを書いている。西洋哲学は長年に渡って人間中心主義の立場をとり、「自然は「人間」のための支援体制や共同資源、あるいは人間のドラマが展開する舞台に過ぎなかった」。これに対して環境倫理学者たちは、「人間の位置を自然のなかに据えて、道徳的な配慮を人間社会の範囲を越えてひろく生物共同体まで拡大しようとした」。

 『コン・ティキ』でも描かれるように、伝説の航海は映像に記録され、そこから生まれた『Kon-Tiki』はアカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。ドキュメンタリー映画の『Kon-Tiki』と実話を映画化した『コン・ティキ』は、同じ題材を扱っているが、それが持つ意味は必ずしも同じではない。


◆スタッフ◆
 
監督   ヨアヒム・ローニング、エスペン・サンドベリ
Joachim Ronning, Espen Sandberg
脚本 ペッター・スカヴラン
Petter Skavlan
撮影 ガイア・ハルトリ・アンドレセン
Geir Hartly Andreassen
編集 ペリー・エリクセン、マーティン・ストルツ
Perry Eriksen, Martin Stoltz
音楽 ヨハン・セーデルクヴィスト
Johan Soderqvist
 
◆キャスト◆
 
トール・ヘイエルダール   ポール・スヴェーレ・ヴァルハイム・ハーゲン
Pal Sverre Valheim Hagen
ヘルマン・ワッツィンゲル アンドレス・バースモ・クリスティアンセン
Anders Baasmo Christiansen
クヌート・ハウグランド トビアス・サンテルマン
Tobias Santelmann
ベングド・ダニエルソン グスタフ・スカルスガルド
Gustaf Skarsgard
エリック・ヘッセルベルグ オッド・マグナス・ウィリアムソン
Odd-Magnus Williamson
トルスティン・ロービー ヤーコブ・オフテブロ
Jakob Oftebro
リヴ・ヘイエルダール アグネス・キッテルセン
Agnes Kittelsen
-
(配給:ブロードメディア・スタジオ)
 

 筆者が生まれる前のことなので、当時については想像するしかないが、この航海の出発点は、まずなによりも真実を明らかにすることにあった。『コン・ティキ』のなかでも、トールは、「科学者として、その一般常識の誤りを証明するのが使命です」と語っている。ちなみに、この科学的な証明については、現在では遺伝子分析などの結果も踏まえ、否定的な見解が優勢になっている。また、航海そのものも当時は、人間が成し遂げた偉業として賞賛されたはずだ。『Kon-Tiki』には、海や海の生き物をめぐる驚異の世界も記録されているが、人々を引きつけたのはそれを見出す人間の姿だっただろう。

 これに対して『コン・ティキ』では、同じ題材ではあっても人間と自然の関係が異なる視点からとらえられている。一方では、緊迫した状況のなかにある人間の姿が生々しく描き出されてはいるが、自然は「人間のドラマが展開する舞台」ではない。乗組員たちは、丸太を結んでいるロープや舵を問題にするが、トールは自分たちの運命を海流や風という自然に委ね、受け入れようとする。つまり、「人間の位置を自然のなかに据えて」いる。

 そして、この映画のなかで筆者が最も印象的だったのが、ベングトとトールが夜中に筏の縁に座って語り合う場面だ。ベングトは海中でかすかに光を放つ微生物を見ながら、「太古の私たちだ、一番最初は海に住むちっぽけな生命体だった」と語り出し、こんなやりとりがつづく。「美しかったかな」「きっと」「進化して醜くなった」。コン・ティキ号の挑戦は、1500年前の航海を再現するものだが、この場面によって自然と人間をめぐる映画の視野がさらに広がる。太古の時代にまでさかのぼり、進化の意味が問われるのだ。

 筆者はこの場面を見ながら、古人類学者リチャード・G・クラインが書いた『5万年前に人類に何が起きたか?』のことを思い出していた。本書では、ある時期に起こった人類の急激な知性の飛躍が以下のように説明されている。「四万年弱の間、文化的「革命」がかつてないほど次々に起こり、ヒトは比較的珍しい大型哺乳動物という立場から、自然環境そのものを大きく変える力を持つものとなった

 だが、ヒトが自然環境を変えうる大きな力を持つことは発展に繋がるだけではない。データは同時期に数種の動物が絶滅に追いやられたことを示唆している。急激な知性の飛躍には、早い段階からプラスとマイナスの両面があったわけだ。

 『コン・ティキ』に描き出される自然と人間の関係は、私たちに人間中心主義と環境倫理学についてあらためて考えさせる。筆者には、そこにいまこの伝説の航海が再現される大きな意味があるように思える。だから、この映画のコン・ティキ号は、人間中心主義を脱却した未来に向かっているように見える。

《参照/引用文献》
『地球の洞察――多文化時代の環境哲学』J・ベアード・キャリコット●
山内友三郎ほか監訳(みすず書房、2009年)
『5万年前に人類に何が起きたか? 意識のビッグバン』
リチャード・G・クライン、ブレイク・エドガー●

鈴木淑美訳(新書館、2004年)

(upload:2014/03/21)
 
 
《関連リンク》
『コン・ティキ』 公式サイト
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