筆者が生まれる前のことなので、当時については想像するしかないが、この航海の出発点は、まずなによりも真実を明らかにすることにあった。『コン・ティキ』のなかでも、トールは、「科学者として、その一般常識の誤りを証明するのが使命です」と語っている。ちなみに、この科学的な証明については、現在では遺伝子分析などの結果も踏まえ、否定的な見解が優勢になっている。また、航海そのものも当時は、人間が成し遂げた偉業として賞賛されたはずだ。『Kon-Tiki』には、海や海の生き物をめぐる驚異の世界も記録されているが、人々を引きつけたのはそれを見出す人間の姿だっただろう。
これに対して『コン・ティキ』では、同じ題材ではあっても人間と自然の関係が異なる視点からとらえられている。一方では、緊迫した状況のなかにある人間の姿が生々しく描き出されてはいるが、自然は「人間のドラマが展開する舞台」ではない。乗組員たちは、丸太を結んでいるロープや舵を問題にするが、トールは自分たちの運命を海流や風という自然に委ね、受け入れようとする。つまり、「人間の位置を自然のなかに据えて」いる。
そして、この映画のなかで筆者が最も印象的だったのが、ベングトとトールが夜中に筏の縁に座って語り合う場面だ。ベングトは海中でかすかに光を放つ微生物を見ながら、「太古の私たちだ、一番最初は海に住むちっぽけな生命体だった」と語り出し、こんなやりとりがつづく。「美しかったかな」「きっと」「進化して醜くなった」。コン・ティキ号の挑戦は、1500年前の航海を再現するものだが、この場面によって自然と人間をめぐる映画の視野がさらに広がる。太古の時代にまでさかのぼり、進化の意味が問われるのだ。
筆者はこの場面を見ながら、古人類学者リチャード・G・クラインが書いた『5万年前に人類に何が起きたか?』のことを思い出していた。本書では、ある時期に起こった人類の急激な知性の飛躍が以下のように説明されている。「四万年弱の間、文化的「革命」がかつてないほど次々に起こり、ヒトは比較的珍しい大型哺乳動物という立場から、自然環境そのものを大きく変える力を持つものとなった」
だが、ヒトが自然環境を変えうる大きな力を持つことは発展に繋がるだけではない。データは同時期に数種の動物が絶滅に追いやられたことを示唆している。急激な知性の飛躍には、早い段階からプラスとマイナスの両面があったわけだ。
『コン・ティキ』に描き出される自然と人間の関係は、私たちに人間中心主義と環境倫理学についてあらためて考えさせる。筆者には、そこにいまこの伝説の航海が再現される大きな意味があるように思える。だから、この映画のコン・ティキ号は、人間中心主義を脱却した未来に向かっているように見える。 |