1999年9月に台湾中部を襲い、2500人以上の死者・行方不明者を出した台湾大震災。台湾のドキュメンタリー界を牽引してきた呉乙峰(ウー・イフォン)監督が、その大震災を題材に作り上げた『生命』には、フィクションも織り交ぜた生と死をめぐる模索があり、一般的なドキュメンタリーの枠に収まらない世界が切り拓かれていく。
この映画には、震災直後の惨状も混乱も必死の救出劇も記録されていない。被災地に通い、人々の言葉に耳を傾けてきた呉監督が、カメラを回しだすのは、マスコミが被災地に姿を見せなくなってからだ。映画に登場するのは、肉親を失った4組の家族。彼らの家があった山奥の集落は一夜にして大量の土砂に埋もれてしまったが、彼らはそれぞれの事情でそこにはいなかった。
藩順義(パン・シュンイ)と張美琴(チャン・メイジン)の夫妻は、息子たちを祖母に委ね、日本に出稼ぎにきていた。美琴の兄の張國揚(チャン・ゴーヤン)と呉玉梅(ウー・イユメイ)の夫妻は、高圧鉄塔の土台を掘る仕事で家を離れていた。周明純(チョウ・ミンチュウン)と明芳(ミンファン)の姉妹は、実家を出て、工場やレストランで働いていた。羅佩如(ロー・ペイルー)も実家を出て、大学に通っていた。呉監督は、心に深い傷を負った彼らを、3年かけて追いつづける。
映画にはそれと並行して、呉監督の個人的な世界も盛り込まれ、彼と父親、そして親友との関係が描きだされる。監督の父親は、病気に苦しみ、施設で車椅子の生活を送っている。生きる気力を失ってしまった父親と面会する監督は、自分が何もできないことに苛立つ。
その父親は、地震で行方不明になった肉親を探しつづける家族の話をしても、地震がここで起こればよかったと答えるのだ。一方、監督の親友は、父親との関係や映画の方向性をめぐって戸惑い悩む監督にとって頼もしい助言者となる。映画では、監督とその親友との往復書簡が、ナレーションのかたちで映像に重ねられていく。
ところが、映画のエンディングで意外な事実が明らかにされる。監督の親友は、この映画が作られるずっと前に亡くなっていた。ということは、往復書簡はフィクションなのだ。確かに、監督の父親は画面に出てくるが、親友は最後まで姿を現すことがない。映画のプレスには、監督のこんなコメントがある。
「父のことを考えていながら、亡くなった親友のことをふと思い出していることがよくあったのです。父はまだ生きているけれど、僕にとってはこの世に存在していないも同然の人になりつつあった。一方で、友人は亡くなってからもう何年もたつのに、僕の心の中でずっと生きているかのように感じられた」 |