地の果てといわれる南米パタゴニア。娯楽用の蒸気船を陸上輸送するルートを作るためにそんな辺境の村を訪れた測量技師は、利権をめぐる陰謀、暴力、密通などそこにうごめく欲望の世界に引き込まれていく。しかし映画は劇的な要素を排し、技師は夏の訪れを告げるように飛来するフラミンゴとともに現れ、その鳥たち、そして村を出るために罪を犯す少女とともに立ち去る。
パタゴニアで育ったシーロ・カペラッリ監督の『フラミンゴの季節』は静かで渇いた映画に見えるが、村人たちがそれぞれに胸に秘めた想いは、激しく熱いドラマを演出する舞台を作りあげていく。彼らの想いにはラテン・アメリカという土壌の縮図が見える。力ずくで先住インディオから搾取しようとする資産家の野望、マチスモ(男性優位主義)と貧しい家族のしがらみに翻弄される女たちの苦痛と挑発する肉体、
村人たちを監視する最長老の婦人の信仰への情熱…。
さらに技師が測量中に採取した石のなかに金が含まれているのに気づくとき、ドラマにはかつて黄金郷を求めた征服者の影がよぎる。つまり、蒸気船の輸送計画とは、この映画では現実に起こりうることというよりも、観客を寓話的な想像力の世界に導く役割を果たしているのだ。
技師と村を出る少女は、殺人という重い罪を犯さなければならないが、この映画の寓話的な世界の広がりのなかでは、それは彼女ひとりの行為ではなく、ラテン・アメリカの土壌が演出する復讐劇へと変貌するのである。
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