『エバースマイル、ニュージャージー』は、ラテン・アメリカの監督ならではの感性が際立つ、オフビートでロマンティックなロード・ムーヴィーである。
ダニエル・デイ=ルイス扮する主人公は、北アメリカのデュボア歯科普及財団から派遣され、南米パタゴニアをバイクで巡回する移動歯科医。バイクのサイドカーには、治療器具一式がコンパクトに収納され、
エバースマイル∴の歯ブラシを無料で配り、日夜、虫歯の撲滅のために奔走している。
ところが、故障したバイクを修理するために立ち寄った家で、お荷物を背負い込むことになる。この家の跳ね返り娘エステラが、翌日に自分の結婚をひかえ、この歯科医が妻帯者であることを知りながら、強引なやり口で同行を迫り、ついには彼の助手になってしまう。
この映画でまず注目したいのは、主人公ファーガスがどんな状況でも、一貫して歯科医として存在していることだ。彼はエステラが何を言おうが、「私は歯科医だ」という一言で一蹴する。強盗一味のボスの親不知もちゃんと抜いてやるが、その一味がバスを襲い、仕事に精を出しているのを目の当たりにしても、知らん顔をしている。
彼はまず何よりも歯科医であり、善悪の基準は歯が健康であるかどうかで決まる。
そして、彼が歯科医であることは、彼が伝道師であることとほとんど同義ともなる。彼が財団の創設者と一緒に撮った写真を見せてまわる姿は、さながらローマ法王と一緒の写真を見せる伝道師である。その伝道師は自己の使命に邁進する。人々に自覚的な予防を呼びかけることもなく、制度化された医療の上にふんぞり返り、
暴利をむさぼっている地元の開業医を糾弾し、人々に覚醒をうながす彼は、地元の為政者にとって危険な存在となる。
当然、彼は試練にさらされることになるが、この歯科医としての試練が実に象徴的で面白い。たとえば、ラジオの生放送のスタジオで、合図とともにロボットのように同じ台詞を繰り返すアシスタントは、台詞の合間に主人公が忌み嫌うチョコレートをほお張る。これは主人公の視点に立つと、お菓子が人間を操っているように見える。
歯痛で寝込んだ老修道士は、自分の不摂生が招いた歯痛と神の意志の関係について、身勝手な屁理屈をこねまわし、主人公を近づけようとしないが、この難題も何とか克服する。ところが今度は、やたらと主人公に理解を示し、色気を振りまく女牧場主に迫られる。彼は一度は彼女の虜になってしまうが、この苦境も何とか乗り切る。
我に返った彼が女のベッドから抜けだすと、ベッドからはチョコレートがこぼれてくる。
主人公はたちはだかる試練をドン・キホーテ的に潜り抜けていく。と同時に映画は、人々と歯科医の関係、歯と虫歯を招く菌の関係をマジック・リアリズム的に押し広げ、そこに政治や宗教を取り込み、ユニークな視点から世界を映しだす。しかし、これはあくまで歯科医としての試練であって、映画はそこで終わらない。 |