ペドロ・アルモドバルは、カルメン・マウラやヴィクトリア・アブリルなど、常に女優からその魅力を十二分に引き出してきた。現在のミューズであるペネロペ・クルスは、そのなかでも異質な輝きを放っているように思える。アルモドバルの世界観や作風は、ペネロペが登場してくる頃から変化しはじめた。そこでここでは、ペネロペの出演作品を中心に、以前から引き継がれている要素も含めて、『抱擁のかけら』に至る軌跡をたどってみたい。
■■ 『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(1988) ■■
『抱擁のかけら』のなかでマテオとレナが作る映画「謎の鞄と女たち」は、完全な再現というわけではないが、コメディの代表作であるこの作品を下敷きにしている。レナが演じるピナは、オリジナルではペパという名前で、カルメン・マウラが演じていた。
アルモドバルはこの映画の撮影中に、同じセットを使って、セットの内と外の両方を見せる作品を作りたいと思うようになり、そのアイデアが発展して後に『アタメ』が誕生することになる。奇しくも「謎の鞄と女たち」は、20年前にオリジナルを撮影したスタジオの同じ場所で撮影された。しかも今回は、オリジナルの場面が再現されるだけではなく、セットの内と外のドラマが描き出されている。
■■ 『ライブ・フレッシュ』(1997) ■■
ペネロペ・クルスが出演した最初のアルモドバル作品。彼女は、主人公ビクトルの誕生の瞬間を描くプロローグに、彼の母親のイサベルとして登場する。だからペネロペの出番は多くないが、重要な意味を持っている。
スペインにはフランコ政権による独裁という重い歴史がある。1949年生まれのアルモドバルは、フランコが1975年に没するまで続いた独裁の時代を知っているが、自分の作品のなかではあえて黙殺してきた。しかし、この作品を撮る時点では、不幸な歴史を忘れるべきではないと思うようになっていた。娼婦のイサベルは、独裁政権によって戒厳令が発令された夜に、バスのなかでビクトルを産む。それは恐怖に対する希望を表現している。
■■ 『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999) ■■
ペネロペが出演した2本目の作品。アルモドバルは、この頃から登場人物の過去をより重視し、掘り下げていくようになる。この映画のヒロインは、セシリア・ロス扮するマヌエラ。マドリードに住むシングルマザーの彼女は、最愛の息子を突然、交通事故で亡くし、18年前に別れた夫を探すためにバルセロナへ、過去へと向かう。そして、同じように哀しみや孤独を背負う女たちの抱擁が、共感と連帯の絆や新たな生命を生み出していく。
ペネロペが演じるのは、バルセロナでマヌエラと同居することになるシスター・ロサ。その役は、アルモドバルが初期の作品『バチ当たり修道院の最後』で修道女たちを描いていたことを思い出させる。
■■ 『トーク・トゥ・ハー』(2002) ■■
アルモドバルの話術と表現の変化が端的に表れた作品。この映画では、まず“リディアとマルコ”という男女の名前が画面に浮かび上がり、彼らの物語が描かれ、次に“アリシアとベニグノ”の名前と物語が続き、最後に未来を暗示するかのように“マルコとアリシア”の名前が浮かび上がる。
この構成と物語は、それぞれの男女の関係が死別によって終わりを告げ、愛する相手が単純に入れ替わることを意味するのではない。昏睡状態の女性に語りかけ、触れ、抱擁することが、個人や生死の境界を超えた結びつきを生み出し、喪失を再生に変えていく。『抱擁のかけら』でも、ハリーひとりの力ではなく、様々な抱擁や心の触れ合いを通して、失われた愛が甦る。 |