抱擁のかけら (レビュー02)
Los Abrazos Rotos


2009年/スペイン/カラー/128分/スコープサイズ/ドルビーSRD・SR
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(初出:『抱擁のかけら』劇場用パンフレット)

 

 

ペドロ・アルモドバル――『抱擁のかけら』への軌跡

 

 ペドロ・アルモドバルは、カルメン・マウラやヴィクトリア・アブリルなど、常に女優からその魅力を十二分に引き出してきた。現在のミューズであるペネロペ・クルスは、そのなかでも異質な輝きを放っているように思える。アルモドバルの世界観や作風は、ペネロペが登場してくる頃から変化しはじめた。そこでここでは、ペネロペの出演作品を中心に、以前から引き継がれている要素も含めて、『抱擁のかけら』に至る軌跡をたどってみたい。

■■ 『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(1988) ■■

 『抱擁のかけら』のなかでマテオとレナが作る映画「謎の鞄と女たち」は、完全な再現というわけではないが、コメディの代表作であるこの作品を下敷きにしている。レナが演じるピナは、オリジナルではペパという名前で、カルメン・マウラが演じていた。

 アルモドバルはこの映画の撮影中に、同じセットを使って、セットの内と外の両方を見せる作品を作りたいと思うようになり、そのアイデアが発展して後に『アタメ』が誕生することになる。奇しくも「謎の鞄と女たち」は、20年前にオリジナルを撮影したスタジオの同じ場所で撮影された。しかも今回は、オリジナルの場面が再現されるだけではなく、セットの内と外のドラマが描き出されている。

■■ 『ライブ・フレッシュ』(1997) ■■

 ペネロペ・クルスが出演した最初のアルモドバル作品。彼女は、主人公ビクトルの誕生の瞬間を描くプロローグに、彼の母親のイサベルとして登場する。だからペネロペの出番は多くないが、重要な意味を持っている。

 スペインにはフランコ政権による独裁という重い歴史がある。1949年生まれのアルモドバルは、フランコが1975年に没するまで続いた独裁の時代を知っているが、自分の作品のなかではあえて黙殺してきた。しかし、この作品を撮る時点では、不幸な歴史を忘れるべきではないと思うようになっていた。娼婦のイサベルは、独裁政権によって戒厳令が発令された夜に、バスのなかでビクトルを産む。それは恐怖に対する希望を表現している。

■■ 『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999) ■■

 ペネロペが出演した2本目の作品。アルモドバルは、この頃から登場人物の過去をより重視し、掘り下げていくようになる。この映画のヒロインは、セシリア・ロス扮するマヌエラ。マドリードに住むシングルマザーの彼女は、最愛の息子を突然、交通事故で亡くし、18年前に別れた夫を探すためにバルセロナへ、過去へと向かう。そして、同じように哀しみや孤独を背負う女たちの抱擁が、共感と連帯の絆や新たな生命を生み出していく。

 ペネロペが演じるのは、バルセロナでマヌエラと同居することになるシスター・ロサ。その役は、アルモドバルが初期の作品『バチ当たり修道院の最後』で修道女たちを描いていたことを思い出させる。

■■ 『トーク・トゥ・ハー』(2002) ■■

 アルモドバルの話術と表現の変化が端的に表れた作品。この映画では、まず“リディアとマルコ”という男女の名前が画面に浮かび上がり、彼らの物語が描かれ、次に“アリシアとベニグノ”の名前と物語が続き、最後に未来を暗示するかのように“マルコとアリシア”の名前が浮かび上がる。

 この構成と物語は、それぞれの男女の関係が死別によって終わりを告げ、愛する相手が単純に入れ替わることを意味するのではない。昏睡状態の女性に語りかけ、触れ、抱擁することが、個人や生死の境界を超えた結びつきを生み出し、喪失を再生に変えていく。『抱擁のかけら』でも、ハリーひとりの力ではなく、様々な抱擁や心の触れ合いを通して、失われた愛が甦る。


◆スタッフ◆

監督/脚本   ペドロ・アルモドバル
Pedro Almodovar
撮影 ロドリゴ・プリエト
Rodrigo Prieto
編集 ホセ・サルセド
Jose Salcedo
音楽 アルベルト・イグレシアス
Alberto Iglesias
製作総指揮 アグスティン・アルモドバル
Agustin Almodovar

◆キャスト◆

レナ   ペネロペ・クルス
Penelope Cruz
マテオ・ブランコ
/ ハリー・ケイン
ルイス・オマール
Lluis Homar
ジュディット・ガルシア ブランカ・ポルティージョ
Blanca Portillo
エルネスト・マルテル ホセ・ルイス・ゴメス
Jose Luis Gomez
ライ・X ルベーン・オチャンディアーノ
Ruben Ochandiano
ディエゴ タマル・ノバス
Tamar Novas
レナの母 アンヘラ・モリーナ
Angela Molina
(配給:松竹)
 

■■ 『バッド・エデュケーション』(2004) ■■

 アルモドバルのこの半自伝的な作品には、『抱擁のかけら』に通じる発想やエピソードが盛り込まれている。アルモドバルの分身ともいえる映画監督エンリケのもとにある日、彼の少年時代の親友にして初恋の相手でもあったイグナシオを名乗る若者が現れ、自作の脚本「訪れ」を残していく。

 その若者はイグナシオではないし、エンリケは二度とイグナシオに会うことはできない。だが、少年時代の体験が刻み込まれた脚本を映画化することによって、この世に存在しないイグナシオは、生死の境界を超えて映画のなかに甦り、生き続ける。『抱擁のかけら』のハリーも、ビデオの記録や再編集された映画を通して、マテオに戻り、レナを取り戻す。

■■ 『ボルベール<帰郷>』(2006) ■■

 ペネロペは3度目の出演となるこの作品で、ヒロインの座を射止めた。彼女が演じるライムンダがラマンチャに帰郷する物語には、アルモドバルの心の変化が表れている。少年時代にラマンチャの伝統に馴染むことができなかった彼は、ずっと故郷と距離を置いてきたが、この映画では、土地や伝統を受け入れ、生き生きと描き出している。

 アルモドバル作品におけるペネロペのキャラクターには共通点がある。前2作では、望まぬ妊娠をして子供を産む女性を、この映画では、たくましい母親を演じた。どのキャラクターも母性や母親と結びついている。しかし『抱擁のかけら』では、これまでとは違い、愛と自由を求める女性を演じている。

《参照文献》
『ペドロ・アルモドバル 愛と欲望のマタドール』フレデリック・ストロース●
石原陽一郎訳(フィルムアート社、2007年)

(upload:2010/07/01)
 
 
《関連リンク》
ペドロ・アルモドバル01 ■
ペドロ・アルモドバル02 ■
『抱擁のかけら』 レビュー01 ■

 
 
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