若き巨匠ポン・ジュノの新作『母なる証明』の主人公は、漢方薬店で働きながら一人息子のトジュンを育て上げた母親だ。ある日、この母子が暮らす静かな町で女子高生が殺害され、トジュンが容疑者として拘束されてしまう。母親は息子の無実を信じ、独力で真犯人を探し出すために奔走する。
ストーリーについては、監督の意向でこれより先のことは語れない。だが、ネタバレ部分を意識しすぎると、作品の本質を見失うことになるだろう。
この映画は抽象度が高く、多様な解釈、あるいは想像を可能にする。母親には特定の役名がない。トジュンは見た目より幼く、精神的に乳離れしていないが、その事情は説明されない。これまでのポン・ジュノの作品とはまったく異なる視点から作られていることは間違いないが、だからといって繋がりがないとは限らない。
『殺人の追憶』や『グエムル―漢江の怪物―』に描き出される北の脅威や軍事政権、米軍駐留の根底には軍事主義があった。『韓国フェミニズムの潮流』所収のクォン・インスクの論文では、軍事主義が以下のように説明されている。
「集団的暴力を可能とする集団が維持され力を得るために必要な、いわゆる戦士としての男らしさ、そしてそのような男らしさを補助・補完する女らしさの社会的形成とともに、このような集団の維持・保存のための訓練と単一的位階秩序、役割分業などを自然のことと見なすようにするさまざまの制度や信念維持装置を含む概念」
イム・サンスの『ユゴ 大統領有故』やユン・ジョンビンの『許されざるもの』では、政治や軍隊の世界を通してその軍事主義なるものが浮き彫りにされていた。ポン・ジュノの凄さは、農村や普通の家族というより身近な世界を通して、軍事主義そのものではなく、それが日常生活に及ぼす影響、日常が歪むことによって広がる闇の部分を、間接的に描き出すところにある。
『殺人の追憶』と『グエムル―漢江の怪物―』では、連続殺人犯や怪物が軍事主義が生み出す歪みを象徴し、それらに翻弄される人々の姿を通して闇が描き出された。二作品が炙り出すのは、外的な力だといえる。これに対して新作では、そうした歴史を踏まえつつ、外的な力が衰退していく世界を舞台に、個人の内面が掘り下げられていく。社会を動かす力の源が、政治から経済に移行していく時代のなかで、母と息子、男と女の関係はどのように変化していくのか。 |