ポン・ジュノ監督の新作『グエムル』では、ソウルの中心を流れる漢江に出現した怪物とその河のほとりで売店を営む一家の壮絶な戦いが描かれる。この主人公一家は、怪物にさらわれた娘を救うために戦いつづける。だが、彼らの戦いは、ドラマの展開のなかで別な意味を持つことになる。その展開の鍵を握るのは、韓国とアメリカの同盟関係だ。
韓国が北朝鮮の脅威に対抗するためにアメリカと同盟を締結した時点と現在では、情勢が大きく変化している。ポン監督の前作『殺人の追憶』の時代には、まだ両国の利害は一致していた。しかしその後、冷戦体制は崩壊し、南北間の緊張も緩和されている。そこで、本来ならそうした情勢の変化に即して、韓国にとって不平等な部分のある同盟関係を修正していくべきところだが、北朝鮮の動向が先行き不透明であるために、なかなか明確な方向性を打ち出すことができない。
ポン監督がそんな現在の同盟関係を意識して、この映画を作っていることは間違いないだろう。怪物の出現という有事に対して、在韓米軍は主導権を握り、政府を動かしていく。彼らは、怪物が危険なウイルスのホスト(宿主)だと発表し、怪物が現れた漢江一帯を封鎖し、そこにいた人々を隔離する。そしてついには、化学兵器の使用に踏み切ろうとする。
その結果、市民が振り分けられ、一群の人物たちが炙り出されていく。ほとんどの人々は、ウイルスという情報を耳にしただけで、封鎖された地域には近づこうとはしない。彼らは、メディアのなかに怪物を見ているのだ。一方、封鎖された地域に出入りし、怪物と戦うことになるのは、脱走した主人公一家=労働者や民主化運動の経験者、そして、ホームレスの男や食べ物は盗むが金には手をつけない孤児の兄弟といった人々なのだ。
『殺人の追憶』で、ふたりの刑事は連続殺人犯を追う。だがやがて、彼らが向き合っていたものが、北の脅威や軍事政権、急激な工業化、民主化運動などの混迷が生む巨大な闇という怪物であったことが明らかになる。この『グエムル』にも、それと同じ構造がある。主人公一家とその仲間が戦っている相手は、実は国家というホストとそれに寄生している怪物でもあるのだ。 |