イム・サンス監督が『浮気な家族』につづいて作り上げた問題作『ユゴ 大統領有故』には、パク・チョンヒ大統領が暗殺される前後24時間のドラマが描かれる。この映画でイム監督が関心を持っているのは、謎が多い暗殺事件をめぐる歴史的事実ではなく、その背後にある“軍事主義”だ。
『韓国フェミニズムの潮流』所収のクォン・インスクの論文「我われの生に内在する軍事主義」のなかで、軍事主義は以下ように説明されている。
「集団的暴力を可能とする集団が維持され力を得るために必要な、いわゆる戦士としての男らしさ、そしてそのような男らしさを補助・補完する女らしさの社会的形成とともに、このような集団の維持・保存のための訓練と単一的位階秩序、役割分業などを自然のことと見なすようにするさまざまの制度や信念維持装置を含む概念」
この軍事主義をテーマにした映画で、筆者がすぐに思い出すのは、ユン・ジョンビン監督の『許されざるもの』だ。『許されざるもの』では、軍隊という組織の末端に位置する若者たちが引き裂かれていくドラマを通して、内面化された軍事主義が炙り出された。これに対して『ユゴ 大統領有故』では、大統領暗殺を巧みにコメディに仕立て上げ、軍事独裁政権の上層部の人間たちを呪縛する軍事主義を浮き彫りにしていく。
暗殺の現場となる宴会場に集まるのは、大統領と3名の腹心、そして女子大生と売出し中の歌手だ。腹心のなかで実権を握る警護室長は、好戦的で傲慢な性格を露にし、女たちが場を和ませる。男たちは、しばしば日本語を使い、大統領は歌手に「北の宿から」を歌わせる。それは、軍事主義が日本の植民地支配から引き継がれたことを物語る。
民主主義のためといって反乱を起こす中央情報部長は、軍事主義を打破しようとするかに見える。だが、彼の行動は明らかにそんな言葉を裏切っている。彼に従う部下たちも、民主主義のためではなく、位階秩序に呪縛され、何が起こっているのかもわからないまま泥沼にはまっていく。
そして、大統領は死亡するが、軍事主義は終わらない。北の脅威やアメリカとの同盟と結びついて、神聖化され、内面化されていく。イム監督は、大統領暗殺をコメディに仕立てることによって、いまだに社会や文化に影響を及ぼしている軍事主義を痛烈に風刺しているのだ。 |