イム・サンス監督にとって三作目の長編となる『浮気な家族』は、弁護士のヨンジャクが、ある発掘の作業に立ち会うところから始まる。穴から遺骨が出ると、絶妙のタイミングで警察が駆けつけ、小競り合いとなる。朝鮮戦争の犠牲者である父親を探しつづけてきた遺族の男は、誰も遺骨に触らせまいとする。
ヨンジャクは、発掘許可をとってくるまでとなだめるが、男は、「父の骨を50年間もほったらかしにして、法律もなにもない」とわめき、現場を押さえようとする警官にはむかう。その小競り合いに巻き込まれたヨンジャクは、足をすべらせて穴の底に落ちてしまい、遺骨と対面することになる。
この導入部は、物語が進むに従って、かなり皮肉なエピソードであることがわかってくる。ヨンジャクの父親チャングンは、酒を飲みつづけてきたために身体を壊し、医者から死を宣告されている。彼が酒を飲むのは、過去に囚われているからだ。チャングンはかつて両親や妹たちと北に暮らしていたが、戦争中に、母親と妹たちを北に残し、彼と父親のふたりだけが南に避難した。そして残された家族は全員死亡した。
ヨンジャクは余命いくばくもない父親となかなか向き合おうとはしない。父親の病気が悪化し、リハビリの施設から病院に移るときも、妻のホジョンに付き添いを頼む。子供の頃から過去に囚われた父親の姿を見てきたであろうヨンジャクは、父親が背負うものから逃れようとしてきたはずだ。そのために大学で勉強し、弁護士となり、高台にある住宅地で裕福な生活を送っている。だが、弁護士であれば、過去の戦争に関わる仕事も引き受けることになる。
彼は、50年間も父親の遺骨を探しつづけてきた男に共感することはできない。それでも、仕事であれば、遺族が国と戦うのを支援する。映画の冒頭で、穴に落ちた彼は、これまで目を背けてきたもの、戦争の悲劇を象徴する頭蓋骨と対面するのだ。またそれは、その後に彼に起こることの前触れでもある。彼の父親は、激しく吐血し(ヨンジャクはその血を浴びる)、金日成将軍を賛える歌を歌いながら絶命するからだ。
監督のイム・サンスは、プレスのなかで、主人公であるヨンジャクと彼の妻ホジョンについて、このように語っている。「ホジョンとヨンジャクは韓国では386世代として知られる年代に属している。30代で、大学に入ったのは80年代で、生まれたのは60年代という世代だ。僕自身もまさに386世代で、民主化されたばかりでフェミニズム運動も現れたばかりの韓国社会で成長する恩恵に浴した。僕らは物質的な豊かさに恵まれた新しい中上流階級を形成していったんだ」。
この映画は、ヨンジャクとホジョン、ヨンジャクの両親の関係を通して、世代だけでなく、男と女の立場も掘り下げていく。イム・サンスはシネスコの画面を効果的に使い、彼らの立場を描き出している。この4人の個々のドラマでは、彼らの周りに空間が生まれる。その空間は、家族が画面を埋める場面と対比されることによって、彼らそれぞれの孤独を強調することになる。
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