浮気な家族
A Good Lawyer's Wife


2003年/韓国/カラー/104分/シネスコ/ドルビーSRD
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(初出:「CD Journal」2004年6月号 夢見る日々に目覚めの映画を33、抜粋のうえ加筆)

 

 

肉体的な欲望を通して雨季彫りにされる歴史と現在

 

 イム・サンス監督にとって三作目の長編となる『浮気な家族』は、弁護士のヨンジャクが、ある発掘の作業に立ち会うところから始まる。穴から遺骨が出ると、絶妙のタイミングで警察が駆けつけ、小競り合いとなる。朝鮮戦争の犠牲者である父親を探しつづけてきた遺族の男は、誰も遺骨に触らせまいとする。

 ヨンジャクは、発掘許可をとってくるまでとなだめるが、男は、「父の骨を50年間もほったらかしにして、法律もなにもない」とわめき、現場を押さえようとする警官にはむかう。その小競り合いに巻き込まれたヨンジャクは、足をすべらせて穴の底に落ちてしまい、遺骨と対面することになる。

 この導入部は、物語が進むに従って、かなり皮肉なエピソードであることがわかってくる。ヨンジャクの父親チャングンは、酒を飲みつづけてきたために身体を壊し、医者から死を宣告されている。彼が酒を飲むのは、過去に囚われているからだ。チャングンはかつて両親や妹たちと北に暮らしていたが、戦争中に、母親と妹たちを北に残し、彼と父親のふたりだけが南に避難した。そして残された家族は全員死亡した。

 ヨンジャクは余命いくばくもない父親となかなか向き合おうとはしない。父親の病気が悪化し、リハビリの施設から病院に移るときも、妻のホジョンに付き添いを頼む。子供の頃から過去に囚われた父親の姿を見てきたであろうヨンジャクは、父親が背負うものから逃れようとしてきたはずだ。そのために大学で勉強し、弁護士となり、高台にある住宅地で裕福な生活を送っている。だが、弁護士であれば、過去の戦争に関わる仕事も引き受けることになる。

 彼は、50年間も父親の遺骨を探しつづけてきた男に共感することはできない。それでも、仕事であれば、遺族が国と戦うのを支援する。映画の冒頭で、穴に落ちた彼は、これまで目を背けてきたもの、戦争の悲劇を象徴する頭蓋骨と対面するのだ。またそれは、その後に彼に起こることの前触れでもある。彼の父親は、激しく吐血し(ヨンジャクはその血を浴びる)、金日成将軍を賛える歌を歌いながら絶命するからだ。

 監督のイム・サンスは、プレスのなかで、主人公であるヨンジャクと彼の妻ホジョンについて、このように語っている。「ホジョンとヨンジャクは韓国では386世代として知られる年代に属している。30代で、大学に入ったのは80年代で、生まれたのは60年代という世代だ。僕自身もまさに386世代で、民主化されたばかりでフェミニズム運動も現れたばかりの韓国社会で成長する恩恵に浴した。僕らは物質的な豊かさに恵まれた新しい中上流階級を形成していったんだ」。

 この映画は、ヨンジャクとホジョン、ヨンジャクの両親の関係を通して、世代だけでなく、男と女の立場も掘り下げていく。イム・サンスはシネスコの画面を効果的に使い、彼らの立場を描き出している。この4人の個々のドラマでは、彼らの周りに空間が生まれる。その空間は、家族が画面を埋める場面と対比されることによって、彼らそれぞれの孤独を強調することになる。



◆スタッフ◆

監督/脚本   イム・サンス
Im Sang-soo
撮影 キム・ウヒョン
Kim Woo-hyeong
編集 イ・ウンス
Lee Eun-su
音楽 キム・ホンジブ
Kim Hong-jib

◆キャスト◆

ウン・ホジョン   ムン・ソリ
Moon So-ri
ジュ・ヨンジャク ファン・ジョンミン
Hwang Jeong-min
ヨンジャクの母 ユン・ヨジョン
Yun Yeo-jong
ヨンジャクの父 キム・インムン
Kim In-mun
シン・ジウン ポン・テギュ
Bong Tae-gyu

(配給:GAGAアジアグループ)
 

 この映画には、家族が画面を埋める印象的な場面がふたつある。ひとつは、父親の病室に家族が揃う場面だ。それは、重病の父親を家族が団結して支える姿であるはずだが、彼らはばらばらだ。父親は、死を望むように煙草を吸う。母親は、小学校時代の同級生と付き合っている。ヨンジャクは、元モデルの愛人のもとに通っている。冒頭で発掘に立ち会った彼は、その後で愛人のもとに直行する。また彼は映画の終盤で、父親が吐いた血を浴びたときに、看護婦に対する激しい欲望を覚えたと告白する。彼は、父親が背負う歴史の抑圧を他者と分かち合うことができず、肉体的な快楽に逃避しつづける。不感症になっている妻のホジョンは、隣に住む17歳の高校生が彼女を覗いているのに気づき、若者を誘惑するようになる。

 そしてもうひとつは、父親の葬儀を終えた後で、母親、ヨンジャク、ホジョン、彼らの養子である7歳のスインが、蒲団で川の字になり、話をする場面だ。そこで母親は、幼なじみと付き合い、15年ぶりにセックスしたことを告白し、これからは自分に正直に生きると宣言する。それに対するヨンジャクとホジョンの反応は興味深い。

 ヨンジャクは唖然とし、母親を軽蔑している。しかし、彼自身は母親と同じことをしている。というよりも、母親よりも救いがない。母親が幼なじみとダンスホールで踊る場面では、画面が同じようなカップルで埋まっているように、彼女は分かち合うものを見出している。これに対して、ヨンジャクと愛人の関係は、彼女が中絶してからより親密になるものの、彼らを取り巻いているのは孤独の空間であり、その関係は、致命的な事故に繋がる。

 一方、ホジョンは、義母に対して内心喝采を送っているが、重要なことは、だからといって、義母と同じ行動をとろうとはしないことだ。彼女は、隣の高校生を誘惑するものの、デートするだけでセックスは拒みつづける。その理由は明らかにされないが、察することはできる。高校生の頭のなかにあるのはセックスだけで、おそらく彼女は、そんな若者のなかに夫を見ている。彼女の不感症は、そんな欲望だけでは解決しない。ヨンジャクとホジョンが養子をもらったのは、彼らの間に子供ができなかったからだろうし、ヨンジャクが愛人を妊娠させていることから、不妊の原因はホジョンにあることになる。

 しかしわれわれは最後に、ホジョンが不妊症という病気ではなかったことに思い至る。イム・サンスは、ふたつの世代のドラマを最終的に、ホジョンの不感症や不妊症へと集約していく。それゆえ、クライマックスのセックス・シーンは大きな意味を持つ。そのときホジョンには、高校生の存在は何の意味もない。彼女の肉体を貫く快楽は、自分への目覚めを表わしているのだ。


(upload:2005/05/02)
 
 
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