ディス・ニュー・ジェネレーション / ウェイン・ホーヴィッツ

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(初出:「ディス・ニュー・ジェネレーション」ライナーノーツ、1991年)

 ジョン・ゾーンやビル・フリゼル、ウェイン・ホーヴィッツなど、ニューヨークを拠点に音楽のジャンルやメディアの枠を越えたユニークな活動を展開するミュージシャンたちは、海外での評価とは裏腹に、 日本では新作がすぐにリリースされることもなく、ずっと過小評価されてきたのではないかと思う。しかし、そんな海外の評価との開きは、昨年(1990)あたりから徐々に縮まりつつあるようだ。

 たとえば、ジョン・ゾーンについては、「復讐のガンマン」や「スピレーン」がリリースされてはいたものの、必ずしも彼の音楽のクロス・メディア的なアプローチがまともに評価されているわけではなかった。 だから、その後に発表された力作「スパイVSスパイ」もすぐに日本盤がリリースされることはなかった。ところが、彼が結成したネイキッド・シティのパワフルな活動が大きな刺激となり、昨年は「ネイキッド・シティ」とともに「スパイ〜」もリリースされ、 しかも年末にはネイキッド・シティが来日を果たし、彼とネットワークを作っているミュージシャンたちがようやく注目されるようになった。

 ネイキッド・シティのメンバーでもあるギタリストのビル・フリゼルについても、「ビフォア・ウィ・ワー・ボーン」、「イズ・ザット・ユー?」という素晴らしい近作がなかなか日本でリリースされないような状態だった。 しかし、ネイキッド・シティのメンバーとしての来日につづいて、今年のトウキョウ・ミュージック・ジョイに自己のバンドで来日を果たし、作品の方も作ねから今年にかけて日本盤が登場している。

 そして、同じくネイキッド・シティのキーボード奏者として来日したウェイン・ホーヴィッツについても、これまでその作品が日本でリリースされることがなかったが、今回やっと日本盤が登場することになったというわけだ。

 ウェイン・ホーヴィッツは1955年、ニューヨーク生まれ。ECMで異彩を放つピアニスト、アート・ランデに師事し、1976年から作曲家/ミュージシャンとして活動を始めている。ホーヴィッツは自己のバンド、ザ・プレジデントを率いて活動する他、 ジョン・ゾーン、ブッチ・モリス、ビリー・バング、ジョディ・ハリス、フレッド・フリスらとのセッションを定期的に行い、また一方では、舞台やダンス、映画の音楽を手がけ、ニューヨークのダウンタウンの新しい音楽シーンを活性化させる存在として注目されている。

 ホーヴィッツは、ニューヨークのダウンタウンの音楽的なコミュニティのなかで、自己の音楽性を磨き上げてきたわけだが、かつて彼が創作の場としていたリハーサル・スペース?スタジオ・ヘンリー?にまつわるホーヴィッツのコメントはなかなか興味深い。

「(ジョン・)ゾーンは、初期の作品の大半をそこで演奏した。フリスとフリゼルとブッチ・モリスはいつもそこらにたむろしていて、小さなコミュニティになっていたんだ。ベースのウィリアム・パーカーとブッチとぼくは、ブラック・セイントから出たアルバムをそこで録音した。 それから突然、ヨーロッパからやってきた連中がぼくらに、そこをパフォーマンスのスペースとして使わないかと言い出したんだ。ぼくたちは、背景に異なる感性があった――たとえば、ある連中はぼくと同じようにジャズやブラック・ミュージックの即興が背景にあったし、 他は、アート・ロック、実験的なエレクトロニクス音楽とか。いまは、あの頃よりもお互いのことがよくわかるようになったみたいだ」

 ホーヴィッツは、ブラック・セイントからトリオ編成による最初のアルバムをリリースした後で、同じレーベルから、ジョン・ゾーン、レイ・ドラモンド、ボビー・プレヴィットと組んで、?ソニー・クラーク・メモリアル・カルテット?名義でクラークの曲を演奏する『ヴードゥー』をリリースしている。 この作品などは、そうしたコミュニティにおける交流のひとつの成果といっていいだろう。

 本作品「ディス・ニュー・ジェネレーション」は、ホーヴィッツのエレクトラからの第1作となる。その内容は、西ドイツのドッシー・レーベルからリリースされた彼の86年の作品「ディナー・アット・エイト」を母体に、同じレーベルからリリースされた87年の「ザ・プレジデント」からの4曲を加えたものである。 彼が1985年に結成したユニット、ザ・プレジデントには、エリオット・シャープ、ビル・フリゼル、デイヴ・ホフストラ、ボビー・プレヴィット、ダグ・ウィーゼルマンといったニューヨークの新しい音楽を志向するミュージシャンたちが参加している。

 



 こうしたネットワークに属するミュージシャンたちは、音楽のジャンルというものにまったく縛られることなく、それぞれにハイブリッドな音楽を作り上げている。と同時に、もうひとつ注目しておかなければならないのは、彼らが、ジョン・ゾーンにしろ、フリゼルにしろ、 あるいはプレヴィットのようなパーカッショニストにしても、作曲に対して強い関心を持っているということだ。もちろんホーヴィッツもまた例外ではない。

 彼らがそれぞれのスタイルで目指しているのは、音楽における作曲と即興の境界を越えるようなフレキシブルな音楽だといえる。そして、たとえばジョン・ゾーンが、ネイキッド・シティでハードコアを大胆に取り込んでそんな境界を越えようとしているとするならば、 ホーヴィッツの創作のひとつのポイントになっているのは、インドネシアの音楽の影響ということになる。ホーヴィッツは、そうした影響も含めて自己のバンドの音楽性についてこのように語っている。

「ぼくがインストの曲を書く場合には、メンバーひとりひとりが、フュージョンにありがちないわゆるユニゾンで演奏するよりも、むしろそれぞれに自分のパートをプレイすることを望んでいるんだ。ぼくは、あのインドネシアの音楽のクォリティ、ひとりひとりが演奏に対してとても異なる何かを持っているようなアンサンブルを基調とした、 トータルなサウンドを目指しているんだ。フュージョンのようなタイプの音楽は、ソロを際立たせることと表現を広げることにばかり関心がいきがちになるけど、ぼくは、もっと簡潔で歌いの形式に近いものを書いているんだ」

 ホーヴィッツは、この「ディス・ニュー・ジェネレーション」という象徴的なタイトルを持つアルバムのなかで、様々に編成を変え、独特のコラボレーションを繰り広げている。曲は、エレクトロニクスを駆使した実験音楽に近いものから、かつてのウェザー・リポートを連想させるトータルなサウンドまで多様なアプローチが見られるが、 インドネシアの音楽の要素を応用しつつ、作曲と即興の境界に新しい空間を提示しようとしているということでは一貫していると思う。ホーヴォッツは、バンドのひとつの理想的な形態としてアート・アンサンブル・オブ・シカゴをあげているが、確かに彼のサウンドは、 ジャンル、あるいは前衛か伝統かといったことにこだわることなく確実に自己の音宇宙を作り上げている。

 この「ディス・ニュー・ジェネレーション」につづいてホーヴィッツは、ザ・プレジデントの作品として「ブリング・ユア・カメラ」を、88年に同じくエレクトラからリリースし、さらに密度の高いサウンドを作り上げている。まだまだこれからの発展が楽しみな作曲家/ミュージシャンである。


《関連リンク》
ビフォー・ウイ・ワー・ボーン』 レビュー ■
イズ・ザット・ユー?』 レビュー ■
ジョン・ゾーン・インタビュー ■

 
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