ハワード・ショアは、クローネンバーグ作品のほとんどの音楽を手がけ、オーケストラを自在に操り、変化に富むサウンドを生み出してきた。『裸のランチ』の音楽を手がけているのもそのショアだが、今回はこれまでとはだいぶ趣が異なる。フリー・ジャズの歴史を切り開いたオーネット・コールマンが参加し、作曲、演奏の両面で大きく貢献しているからだ。クローネンバーグは、オーネットを起用するアイデアについてこのように語っている。
「それは、ハワード・ショアのアイデアだ。脚本が出来てすぐにハワードに送って話し合いをはじめたから、音楽については長いあいだ話し合ったわけだ。私は、ジャズがこの登場人物にはとても相応しいと感じていた。彼らは当時ラディカルだったから、ジャズはぴったりなわけだ。また一方では、タンジールでロケするつもりだったから、インターゾーンには北アフリカの雰囲気がある。だから、北アフリカの音楽もひとつの可能性だった。
そしたらハワードが、ジャズと北アフリカの両方の要素を持った録音があると言って、オーネット・コールマンが1973年に録音したものだと教えてくれた。そのアルバムをハワードが送ってくれたんだが、それを聴いて、これこそインターゾーンの国家であるべきだと思った。ハワードは個人的にコールマンを知っていて、もし君が、もっとコールマンがこの映画の音楽をやるべきだと思うなら、彼にコンタクトをとれると言った。それで、それまでに撮影済のフィルムをビデオにして彼に送ったんだ。彼はすごく気に入ってくれて、この映画に関わることに賛同してくれた」
ハワード・ショアがクローネンバーグに送ったアルバムは、77年に発表されたオーネットの代表作『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』だ。このアルバムには、オーネットがモロッコのジュジューカの音楽家たちとコラボレーションを展開した「ミッドナイト・サンライズ」という73年録音の曲が収録されている。クローネンバーグが聴いたのはこの曲であり、このアルバムにも「クローケのオウム」とのカップリングで収録されている。
クローネンバーグとショアは、ジャズと北アフリカの両方の要素を持つ音楽を求めて、オーネットを起用したわけだが、面白いことにこの音楽的な狙いはバロウズとも繋がりを持っている。オーネットは、73年1月、モロッコの山間部にある村ジュジューカを訪れ、古来からの音楽の伝統を守りつづけ、民族楽器を演奏する地元のミュージシャンたちと出会った。バロウズの長大な評伝『Literary
Outlaw』のなかには、こんな記述があるのだ。
「ジュジューカでは年に1回、牧羊神のお祭が行われ、これは、バロウズが通う行事でもあった。特別のアトラクションでは、偉大なジャズ・サックス奏者オーネット・コールマンが熟達した演奏家たちのテクニックを学ぶために登場し、彼らと共演することになっていた。[中略](演奏家たちに)オーネットが加わり、拮抗するハーモニーを作り上げたとき、バロウズには、自分が、2000年間生き続けるロックン・ロール・バンドを聴いているように思えた。カルタゴの時代から続く音楽とモダン・ジャズ、ふたつの表現が出会ったとき、音の新しいフロンティアが誕生したのだ」
しかも、オーネットとバロウズの接点はそれだけではない。バロウズやビートに多大な影響を受けたアメリカ人の監督コンラッド・ルークスが66年に作った『チャパクア』というドラッグ映画がある。この映画には、バロウズがギンズバーグとともに出演している。監督のルークスは、オーネットにこの映画の音楽を依頼し、オーネットは、2管編成のカルテットと13人の管と弦のアンサンブルという大編成による音楽を作り上げた。ところが、ルークスはそれを使うことを躊躇し、結局、他のミュージシャンに音楽を依頼し、オーネットのファンのために音楽をレコード化する話を持ちかけた。その幻となった映画音楽が『チャパクァ組曲』なのだ。
こうした過去の経緯を踏まえてみると、バロウズの世界を彩るオーネットの音楽にはとても感慨深いものを感じるし、クローネンバーグにとって間違いなく最良の選択だったと思う。
このアルバムには、ジャズと北アフリカという要素の融合だけではないオーネットの創造性が刻み込まれている。たとえばそれは、オーケストラとの共演である。オーネットは72年にオーケストラと共演した『アメリカの空』を残しているだけに、ここでも緊密なインタープレイを展開し、ショア独特のオーケストラ・サウンドに異質なテンションを持ち込みつつも、統一感を生みだしている。それから、トリオ編成によるアグレッシヴなインプロヴィゼーションにも注目すべきだろう。このトリオ編成のサウンドは、かつて彼が、デヴィッド・アイゼンソンとチャールズ・モフェットとのトリオで一時代を築いたことを思い出させる。また、ジャズ・ピアニストの異端児セロニアス・モンクの曲「ミステリオーソ」も、憎いほどにこの映画の空気を反映している。バロウズの世界と共鳴するこうしたオーネットのサウンドがなかったら、『裸のランチ』はまったく違った映画になってしまっていたことだろう。 |