裸のランチオリジナル・サウンドトラック

line
(初出:『裸のランチ オリジナル・サウンドトラック』ライナーノーツ)

 

 

バロウズの圧倒的な喪失感が生み出す幻想世界と共鳴する音楽

 

     

 カナダ出身のデヴィッド・クローネンバーグは、われわれの生理に訴えかける斬新な映像表現を切り開き、その際立って特異な感性によって、世界で最も注目を集めている映画監督のひとりである。

 そのクローネンバーグは、デビュー当時は、異色のホラー映画の作家として注目を集めていた。人体に有益な寄生虫の研究から生まれた生物が、医療や娯楽の施設を完備した高層住宅の住人の体内に次々と入り込み、彼らを性の虜にしていく劇映画デビュー作『シーバース / 人喰い生物の島』。中性化処理された皮膚の移植手術を受けた女性が、腋の下から現れた不気味な突起で血を吸うようになり、町をパニックに陥れていく『ラビッド』。子供を奪われた母親が、自分の肉体の構造を変え、怒りをかたちにして産み落とす『ザ・ブルード』。そして、思考するだけで相手の頭を吹き飛ばす超能力者スキャナーを描いた『スキャナーズ』。クローネンバーグは、肉体の変容をめぐるショッキングなイメージを次々と繰り出し、熱狂的なファンを獲得していった。

 しかし、『ビデオドローム』や『デッドゾーン』を経て、『ザ・フライ』や『戦慄の絆』が一般の人々に広く認知されるようになったいま、彼のことを単純にホラー、あるいはSF映画の作家だと思う人はいないだろう。

 クローネンバーグが描くのは、人間が様々なかたちで精神と肉体のバランスを欠いていく状況であり、その結果もたらされる人間同士の絆や関係性の喪失である。たとえば、『ザ・フライ』が、蝿男への肉体的な変容や巨大な蛆虫を産み落とす悪夢などのグロテスクなイメージに満ちているにもかかわらず、恋愛映画として受け入れられるのは、そこに絆の喪失による苦悩があるからだ。彼の映画には、常に男女や家庭の絆の崩壊や喪失があり、一般的なホラーやSF映画とは異質な余韻を残す。クローネンバーグ自身は、そうした自己の作品を、"哲学的な冒険"というように表現している。

 このアルバムは、『戦慄の絆』に続くクローネンバーグの最新作『裸のランチ』のサントラである。『裸のランチ』といえば、文学、映画、音楽など様々なメディアで活躍するアーティストたちに絶大な影響を及ぼしてきた作家ウィリアム・バロウズの代表作である。若い頃からバロウズに傾倒し、影響を受けてきたクローネンバーグは、長年に渡ってこの小説の映画化を夢見てきた。しかし、タイトルは同じでもこの映画は、小説『裸のランチ』を映画化したものではない。この小説は、これまで何度も映画化の話が持ち上がりながら、結局、実現には至らなかった。明確なプロットもない小説を映像に置き換えることが困難だったからだ。

 そこでクローネンバーグは、小説の文字通りの映画化は潔く断念し、異なるアプローチをひねり出した。そのヒントになったのは、バロウズの別の作品『おかま』の前書きにある「もし、ジョーンの死がなければ決して作家にならなかっただろう」というバロウズの言葉である。バロウズが"ウィリアム・テルごっこ"で誤って妻のジョーンを射殺してしまったのは有名な話だが、クローネンバーグは、バロウズがこの悲劇によって圧倒的な喪失感に苛まれ、書く以外に出口がないところまで追い詰められた事実に着目し、狂気と対峙しながら『裸のランチ』を創造していく人間の姿を描こうと考えた。クローネンバーグは、この軸となるプロットに、『裸のランチ』、『エクスタミネーター!』、『インターゾーン』といったバロウズ作品の断片や、ギンズバーグ、ケルアック、ポール・ボウルズ夫妻との交流というバロウズをめぐる実話を巧みに組み合わせ、ハイブリッドな世界を作り上げたのだ。

 映画の舞台は50年代のニューヨーク。バロウズの分身である主人公ウィリアム・リーは、誤って妻を射殺してしまい、その喪失感ゆえにドラッグにのめり込み、幻覚のなかでタンジールにある"インターゾーン"と呼ばれる世界に導かれる。そこで彼は、機械とゴキブリが融合したタイプライターに操られ、スパイとなって報告書をまとめていく。それが、いつしか『裸のランチ』という小説になっていくのである。

 50年代のニューヨークと幻覚が生みだすタンジールというふたつの世界が錯綜するドラマ、意識とグロテスクな肉体を持つタイプライターが象徴する言葉の凶暴性やエロティシズム、光を抑えた陰影に富む映像。そして、こうした要素からなる世界に見事に溶け込み、幻想的な雰囲気や緊張感を醸し出していく音楽の素晴らしさは特筆に価する。


  ◆曲目◆

01.   裸のランチ
Naked Lunch (Howard Shore)
02.

a) ハウザーとオブライエン
Houser and O'Brien (Howard Shore)
b) 害虫駆除薬
Bugpoeder (Ornette Coleman)

03. マグワンプ
Mugwumps (Howard Shore)
04. ムカデ
Centipede (Howard Shore)
05. ブラック・ミート
The Black Meat (Howard Shore)
06.

a) シンパティコ
Simpatico (Howard Shore)
b) ミステリオーソ
Misterioso (Thelonious Monk)

07. ファデラの集会
Fadela's Coven (Howard Shore)
08. インターゾーン組曲
Interzone Suite (Howard Shore)
09. ウィリアム・テルごっこ
William Tell (Howard Shore)
10. ムジャハディン
Mujahaddin (Howard Shore)
11. インターソング
Intersong (Ornette Coleman)
12. ベンウェイ医師
Dr. Benway (Howard Shore)
13. クラーク・ノヴァの死
Clark Nova Dies (Howard Shore)
14. バラッド/ジョーン
Ballad/Joan (Ornette Coleman)
15.

a) クローケのオウム
Cloquet's Parrots (Howard Shore)
b) 真夜中の日の出
Midnight Sunrise (Ornette Coleman)

16. 真実はなく、すべてが許されて
Nothing is True; Everything is Permitted (Howard Shore)
17. アネクシアへようこそ
Wellcome to Annexia (Howard Shore)
18.. 作家
Writeman (Ornette Coleman)

  ◆演奏◆

ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
オーネット・コールマン(アルト・サックス・ソロ)


(ビクターエンタテインメント)
 
 


 ハワード・ショアは、クローネンバーグ作品のほとんどの音楽を手がけ、オーケストラを自在に操り、変化に富むサウンドを生み出してきた。『裸のランチ』の音楽を手がけているのもそのショアだが、今回はこれまでとはだいぶ趣が異なる。フリー・ジャズの歴史を切り開いたオーネット・コールマンが参加し、作曲、演奏の両面で大きく貢献しているからだ。クローネンバーグは、オーネットを起用するアイデアについてこのように語っている。

「それは、ハワード・ショアのアイデアだ。脚本が出来てすぐにハワードに送って話し合いをはじめたから、音楽については長いあいだ話し合ったわけだ。私は、ジャズがこの登場人物にはとても相応しいと感じていた。彼らは当時ラディカルだったから、ジャズはぴったりなわけだ。また一方では、タンジールでロケするつもりだったから、インターゾーンには北アフリカの雰囲気がある。だから、北アフリカの音楽もひとつの可能性だった。
そしたらハワードが、ジャズと北アフリカの両方の要素を持った録音があると言って、オーネット・コールマンが1973年に録音したものだと教えてくれた。そのアルバムをハワードが送ってくれたんだが、それを聴いて、これこそインターゾーンの国家であるべきだと思った。ハワードは個人的にコールマンを知っていて、もし君が、もっとコールマンがこの映画の音楽をやるべきだと思うなら、彼にコンタクトをとれると言った。それで、それまでに撮影済のフィルムをビデオにして彼に送ったんだ。彼はすごく気に入ってくれて、この映画に関わることに賛同してくれた」

 ハワード・ショアがクローネンバーグに送ったアルバムは、77年に発表されたオーネットの代表作『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』だ。このアルバムには、オーネットがモロッコのジュジューカの音楽家たちとコラボレーションを展開した「ミッドナイト・サンライズ」という73年録音の曲が収録されている。クローネンバーグが聴いたのはこの曲であり、このアルバムにも「クローケのオウム」とのカップリングで収録されている。

 クローネンバーグとショアは、ジャズと北アフリカの両方の要素を持つ音楽を求めて、オーネットを起用したわけだが、面白いことにこの音楽的な狙いはバロウズとも繋がりを持っている。オーネットは、73年1月、モロッコの山間部にある村ジュジューカを訪れ、古来からの音楽の伝統を守りつづけ、民族楽器を演奏する地元のミュージシャンたちと出会った。バロウズの長大な評伝『Literary Outlaw』のなかには、こんな記述があるのだ。

「ジュジューカでは年に1回、牧羊神のお祭が行われ、これは、バロウズが通う行事でもあった。特別のアトラクションでは、偉大なジャズ・サックス奏者オーネット・コールマンが熟達した演奏家たちのテクニックを学ぶために登場し、彼らと共演することになっていた。[中略](演奏家たちに)オーネットが加わり、拮抗するハーモニーを作り上げたとき、バロウズには、自分が、2000年間生き続けるロックン・ロール・バンドを聴いているように思えた。カルタゴの時代から続く音楽とモダン・ジャズ、ふたつの表現が出会ったとき、音の新しいフロンティアが誕生したのだ」

 しかも、オーネットとバロウズの接点はそれだけではない。バロウズやビートに多大な影響を受けたアメリカ人の監督コンラッド・ルークスが66年に作った『チャパクア』というドラッグ映画がある。この映画には、バロウズがギンズバーグとともに出演している。監督のルークスは、オーネットにこの映画の音楽を依頼し、オーネットは、2管編成のカルテットと13人の管と弦のアンサンブルという大編成による音楽を作り上げた。ところが、ルークスはそれを使うことを躊躇し、結局、他のミュージシャンに音楽を依頼し、オーネットのファンのために音楽をレコード化する話を持ちかけた。その幻となった映画音楽が『チャパクァ組曲』なのだ。

 こうした過去の経緯を踏まえてみると、バロウズの世界を彩るオーネットの音楽にはとても感慨深いものを感じるし、クローネンバーグにとって間違いなく最良の選択だったと思う。

 このアルバムには、ジャズと北アフリカという要素の融合だけではないオーネットの創造性が刻み込まれている。たとえばそれは、オーケストラとの共演である。オーネットは72年にオーケストラと共演した『アメリカの空』を残しているだけに、ここでも緊密なインタープレイを展開し、ショア独特のオーケストラ・サウンドに異質なテンションを持ち込みつつも、統一感を生みだしている。それから、トリオ編成によるアグレッシヴなインプロヴィゼーションにも注目すべきだろう。このトリオ編成のサウンドは、かつて彼が、デヴィッド・アイゼンソンとチャールズ・モフェットとのトリオで一時代を築いたことを思い出させる。また、ジャズ・ピアニストの異端児セロニアス・モンクの曲「ミステリオーソ」も、憎いほどにこの映画の空気を反映している。バロウズの世界と共鳴するこうしたオーネットのサウンドがなかったら、『裸のランチ』はまったく違った映画になってしまっていたことだろう。

《参照/引用文献》
『LITERARY OUTLAW--THE LIFE AND TIMES OF WILLIAM S. BURROUGHS』●
TED MORGAN (AVON, 1988)

(upload:2006/06/17)
 
 
《関連リンク》
デイヴィッド・クローネンバーグ ■
『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』レビュー ■
『ヒストリー・オブ・バイオレンス』 レビュー ■

 
 
amazon.co.jpへ●

ご意見はこちらへ master@crisscross.jp
 


copyright