「もし、ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインの二人の記者が、最初の結婚に失敗していなかったとすれば、事件の報道に必要な長時間の取材をやる気にならなかったかもしれない。二人とも離婚して独身になっていなかったら、ふつうの家庭の義務を果たすのに時間をとられ、あれほどの取材はできなかっただろう」
「もし、編集局長のハワード・サイモンズがこの事件に関心をもち、独自の判断で、二人の記者を取材に専念させることに踏み切らなかったとすれば……」
ウッドワードの回想は、そこにさらに偶然を積み重ねることになる。彼とフェルトの出会いはまったくの偶然だった。それは69年か70年のこと、当時国防総省に勤務する海軍大尉だったウッドワードは、ホワイトハウスに書類を届けにいき、応接スペースで待たされることになった。そのとき偶然、彼の隣に座った人物がフェルトだった。
将来に不安をおぼえ、人の繋がりを求めていたウッドワードは、一面識もないフェルトに積極的に話しかけ、フーヴァーFBI長官直轄の監察室長をつとめる長官補の要職にあった有力者と交流を持つことになった。この出会いがやがてウッドワードの人生を大きく変えることになる。ふたりがそこで出会わなかったら、ウォーターゲート事件の展開はまったく違ったものになっていたかもしれない。
さらに、事件の六週間前にフーヴァー長官が死去したことも重要な伏線となる。フェルトが昇格してもおかしくなかったが、ニクソン大統領は、自分の永年の忠臣であるパトリック・グレイを長官代理に任命した。そんなタイミングで事件が起これば、ホワイトハウスが様々な圧力をかけてきて、FBIを操ろうとすることは容易に察することができる。本書では、危機的な状況が以下のように表現されている。
「ジョン・ディーンをはじめとするホワイトハウスやCREEPの顧問弁護士が、FBIの事情聴取に同席して睨みをきかせており、下級・中級職の人間が包み隠さず話ができる状態ではなかった。事情聴取用の書式三〇二号の原本とFBI捜査のテレタイプの写しをディーンが請求したのをグレイが黙認したことが、フェルトにはもっとも大きな痛手だった。週明けの十月二日、グレイはそうした内部文書数十通をディーンに渡した――調査の対象となっている相手に捜査関係書類を提供するなど、前代未聞のことだ」
そうなると、フェルトのような立場にあればなんらかの行動を起こさざるをえなかっただろう。だが、彼がなにを考えていたのかは推測するしかない。ウッドワードは、フェルトの口から匿名情報源になった真の動機を聞いていないからだ。
ニクソン大統領の辞任後、ウッドワードとフェルトは自由に話ができたわけではない。フェルトは、過激組織ウェザーマンに対するFBIの不法侵入をめぐって罪に問われ、微妙な立場に立たされていた。ウッドワードとしては、話を聞きたくても、距離を置いて見守るしかなかった。そして年月が経過し、直接話ができるようになったときには、フェルトの認知症が進行し、彼は記憶を失いつつあった。
ディープ・スロートがフェルトだったことを公表したのは、彼の意向を汲んだ娘と家族の弁護士であり、リークの真の動機は永遠の謎となった。 |