マルクス・ラジオ / マイケル・バーソン(編)
Flywheel, Shyster, and Flywheel: The Marx Brothers' Lost Radio Show / Michael Barson (1988)


1995年/いとうせいこう監訳/角川書店
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(初出:「図書新聞」1995年、若干の加筆)

『我輩はカモである』のための準備運動
ラジオではじけるグルーチョとチコのコンビ

 マルクス兄弟というと、昔はともかくいまの日本では、その評価を云々する以前にまともに認知すらされていないように思える。だが、アメリカやヨーロッパでは見事にその逆で、評価もさることながら、とにかく根強い人気がある。それは、彼らにまつわる本だけを眺めてみてもよくわかる。研究書や評論はもちろんのこと、自伝やら娘が書いた伝記やら書簡集に交遊録など実に様々な本がコンスタントに出版されている。

 そして、この『マルクス・ラジオ』もそんな人気を誇る彼らの魅力を伝える一冊といえる。本書は、マルクス兄弟のグルーチョとチコが、1932年の11月から33年の5月にかけて毎週放送していた30分のラジオ番組の脚本をまとめたものだ。この時期というのは、彼らの映画に照らし合わせてみると、32年8月封切りの4作目『御冗談でショ』と33年11月封切りの5作目『我輩はカモである』の狭間ということになる。

 当時は、彼らのアナーキーでシュールな世界があまりにも先を行っていたために、これらパラマウント時代の作品よりも、ロマンス仕立てのプロットなどで毒を薄めたその後のMGM作品の方が一般的な受けがよかった。しかし、いまでは『我輩はカモである』で彼らが頂点を究めていたことに異論を唱える人はいないだろう。

 そんなわけで、この時期から見ただけでも本書が面白くないはずがないことは保証されているようなものだが、マルクス兄弟関係の本をひもといてみると、この番組の背景が興味深く思えてくる。


 

 ジョー・アダムスンの研究書『GROUCHO,HARPO,CHICO,AND SOMETIMES ZEPPO』によれば、『我輩はカモである』の企画が動きだした頃、ドイツではヒトラーが台頭し、アメリカは最悪の経済不況に喘ぎ、銀行は閉鎖を余儀なくされ、パラマウントも破産寸前のところまで追い込まれて、撮影所には金融業者がいそがしく出入りしていたという。マルクス兄弟も、地味な存在だったゼッポやガモが転職を考えるなど、だいぶ混乱をきたしていたらしい。

 そんな時にグルーチョとチコが、ハリウッドを離れてニューヨークでやりだしたのがこのラジオ番組なのだ。 そういう意味では、この番組は、のってるふたりが、たまっている鬱憤を吐きだす恰好の場だったのではないかと思える。実際、本書には、ラジオを通して表現できるかぎりのマルクス兄弟の魅力が凝縮されている。グルーチョは、フライウィールといういかさま弁護士に、チコがその助手ラベリに扮し、毎回、このふたりが金の成る木を追い回すたびに、秩序がとめどない混乱におちいっていく。その密度の濃さや展開の早さには脱帽させられる。

 余談ながら、先述したアダムスンの著作によれば、グルーチョの役は、最初ビーグルという名前だったらしいが、ビーグルという名前の本物の弁護士のところに悪戯電話が殺到したために、フライウィールに変えたという。これも番組の反響を物語るエピソードといっていいだろう。

 そして、この番組が終わった後、ふたりはハリウッドに、映画のマルクス兄弟に戻り、究極の傑作である『我輩はカモである』を完成させることになる。その映画には、ラジオ番組で使われたネタがたくさん使われている。というのも、この映画で台詞を担当しているのは、ラジオでもうひと組の作家コンビと交互に番組の脚本を書いていたアーサー・シークマンとナット・ペリンのふたりだからだ。そういう意味では、この『マルクス・ラジオ』において、『我輩はカモである』の下準備が進められていたことにもなる。

 また、この邦訳では、日本語への翻訳が不可能なジョークに関しては、監訳にあたったいとうせいこうの手になる、グルーチョとチコの“悪のり”に敬意を表したジョークが散りばめられ、こちらも楽しめる。

《参照/引用文献》
GROUCHO,HARPO,CHICO,AND SOMETIMES ZEPPO』 Joe Adamson●
(Simon & Schuster、1987)

(upload:2009/01/31)
 
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