ジョー・アダムスンの研究書『GROUCHO,HARPO,CHICO,AND SOMETIMES ZEPPO』によれば、『我輩はカモである』の企画が動きだした頃、ドイツではヒトラーが台頭し、アメリカは最悪の経済不況に喘ぎ、銀行は閉鎖を余儀なくされ、パラマウントも破産寸前のところまで追い込まれて、撮影所には金融業者がいそがしく出入りしていたという。マルクス兄弟も、地味な存在だったゼッポやガモが転職を考えるなど、だいぶ混乱をきたしていたらしい。
そんな時にグルーチョとチコが、ハリウッドを離れてニューヨークでやりだしたのがこのラジオ番組なのだ。 そういう意味では、この番組は、のってるふたりが、たまっている鬱憤を吐きだす恰好の場だったのではないかと思える。実際、本書には、ラジオを通して表現できるかぎりのマルクス兄弟の魅力が凝縮されている。グルーチョは、フライウィールといういかさま弁護士に、チコがその助手ラベリに扮し、毎回、このふたりが金の成る木を追い回すたびに、秩序がとめどない混乱におちいっていく。その密度の濃さや展開の早さには脱帽させられる。
余談ながら、先述したアダムスンの著作によれば、グルーチョの役は、最初ビーグルという名前だったらしいが、ビーグルという名前の本物の弁護士のところに悪戯電話が殺到したために、フライウィールに変えたという。これも番組の反響を物語るエピソードといっていいだろう。
そして、この番組が終わった後、ふたりはハリウッドに、映画のマルクス兄弟に戻り、究極の傑作である『我輩はカモである』を完成させることになる。その映画には、ラジオ番組で使われたネタがたくさん使われている。というのも、この映画で台詞を担当しているのは、ラジオでもうひと組の作家コンビと交互に番組の脚本を書いていたアーサー・シークマンとナット・ペリンのふたりだからだ。そういう意味では、この『マルクス・ラジオ』において、『我輩はカモである』の下準備が進められていたことにもなる。
また、この邦訳では、日本語への翻訳が不可能なジョークに関しては、監訳にあたったいとうせいこうの手になる、グルーチョとチコの“悪のり”に敬意を表したジョークが散りばめられ、こちらも楽しめる。 |