さらに映画を見れば、白人と黒人の立場が転倒したドラマを描く「ジャンクション」や黒人の血が流れていることを隠す宿命の女が登場するノワール「ブルー・ドレスの女」があり、音楽に目を向けると、ホワイト・ラッパーのヴァニラ・アイスやブラック・ロックのリヴィング・カラーがいる。
本書はそんな現代を出発点に、マン・レイのソラリゼーショーンのようなアート表現から、先述したようなアステアの黒塗りなども含む映画、ハーレム・ルネサンスの小説などあらゆる表現を通した人種転換を網羅する。そして、その背景にある黒人と白人の心理を掘り下げ、黒人であること、白人であることの意味を再検証しようとする。もちろんその文脈からは、ミンストレル・ショーが作りあげた黒人のイメージが20世紀に入ってもいかに大きな影響を及ぼしていたかが明らかにされる。著者のグーバーは、ミンストレル・ショーが差別的なものであったばかりか、それがアメリカ文化に及ぼした影響があまりにも大きかったために、これまで研究が進まなかったとも語っている。
それは間違いなく事実ではあるが、他の本、とりわけエリック・ロットの『Love and Theft』とW・T・ラモンの『Raising Cain』では、ミンストレル・ショーの出発点について新たな視点が切り開かれ、ミンストレル・ショーのもうひとつの重要な意味が明らかにされていく。
それを象徴しているともいえるのが、"ジム・クロウ"誕生の背景である。ミンストレル・ショーの歴史のなかで、その先駆者といわれるのがトマス・D・ライスで、彼が黒人のイメージの原型となる"ジム・クロウ"というキャラクターを創作したとされる。一般に流布している説では、彼が、身体の不自由な黒人を見かけたことがきっかけで、その動きを真似してジム・クロウが生まれたということになっている。
たとえば、筆者が昔読んだ本からひとつの例を引用すると、自称目撃者がニューヨーク・タイムズに語ったこんな話がある。芸人の一座の一員としてケンタッキー州ルイヴィルを訪れたライスは、劇場のそばにある貸馬車屋の庭で仕事をしているよぼよぼの黒人に興味を覚えた。彼の身体はひどく不格好で、右肩が吊り上り、曲がったまま強ばった膝を引きずるように歩く姿が、苦しそうでもあり、滑稽でもあった。その奴隷は主人の名前をとってジム・クロウと呼ばれていた。ライスは彼の姿と奇妙な歌を真似てジム・クロウのキャラクターを創作して人気を博し、ロンドン公演まで行うことになった。
この話を信じるなら、ミンストレル・ショーはその出発点から非常に差別的であり、しかも身体の不自由な人間の動きを真似たのであれば、黒人の伝統的な文化を何ら模倣すらしていないことになる。ところが、『Raising Cain』の著者ラモンは、流布しているこの通説はまったくの偽りであると主張する。以前のミンストレル・ショーの研究では、19世紀前半のアメリカでは、白人と黒人のあいだに接点はなかったと考えられていたので、こうした通説が信じられることになったが、実際には接点があったというのだ。
そこで『Love and Theft』と『Raising Cain』では、ミンストレル・ショーが誕生する社会的な背景が非常に緻密に検証され、特にミンストレル・ショーの芸人となった当時の白人の労働者階級にスポットがあてられることになる。19世紀前半というと単純な先入観から白人社会は一枚岩のように思えてしまうが、実はジェファソン時代以後の民主主義のなかで、中流階級が増え、下層の白人とのあいだに対立が生まれていた。
その下層の白人たちは、中流社会から疎外されるがゆえに、奴隷制や差別を受ける黒人たちと意識を共有し、ニューヨークの一部の地域ではすでに白人と黒人が共生する地域が誕生していた。彼らは、接点がないどころか活発な交流を行っていたのだ。『Raising Cain』では、当時のそんな交流を物語る絵や文献なども紹介されている。そこでは、食べ物をもらうためにダンスを踊る黒人の舞台に白人が一緒に立っていたり、白人の芸人の舞台を黒人の観客が見ていたりする。つまり、ミンストレル・ショーは、当時の社会に不満を持つ白人と黒人の文化の融合から誕生したきわめて先鋭的なパフォーマンスだった。差別的であるどころか、差別に対抗する姿勢がかたちとなって現われたものだったのだ。そうなると、ミンストレル・ショーがいま注目を浴びるのも納得がいくことだろう。
それではなぜそんなミンストレル・ショーが、いま紹介したような差別的な神話のベールに覆われてしまうことになったのか。それは、ミンストレル・ショーの広がりを脅威と感じた中流階級が、新聞などの媒体を使って仕組んだからだという。これは当時のミンストレル・ショーの影響力を逆説的に物語っているといえるが、実際のところ、ミンストレル・ショーは、当時の黒人文学であるスレイヴ・ナラティヴなどとはまったく違ったかたちで、逃亡奴隷たちを精神的にバックアップしていたということだ。
ここに取り上げた本の内容は、20世紀の特に50年代以降のアメリカを見直すヒントとなるという意味でも非常に興味深いものだが、それだけではなく日本の現代社会にとっても重要なテーマとなりうる。均質化する中流社会のなかで他者の認識が欠落し、自己のアイデンティティの喪失を招く状況に対する大きな刺激となるからだ。筆者はいまこのミンストレル・ショーを題材とした本「黒と褐色の幻想」(NHKブックスより刊行予定)を執筆しているところだが、この本にはそんなテーマも盛り込みたいと思っている。 |