北野武
Takeshi Kitano


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(初出:『アウトレイジ』劇場用パンフレット)

 

 

北野映画、『アウトレイジ』までの軌跡

 

 監督・北野武の世界は、89年のデビュー作『その男、凶暴につき』から15作目となる最新作『アウトレイジ』に至るまでに様々な変貌を遂げてきた。ここではそんな北野監督の軌跡を、スタイルやテーマから大きく4つに分けて振り返ってみたい。

 まず第1期は、『その男、凶暴につき』から『3‐4×10月』、『あの夏、いちばん静かな海。』を経て『ソナチネ』まで。いずれも、“死”あるいは“暴力”がキーワードになるが、省略を多用した寡黙なスタイルも見逃せない。

 重要なのは、何を描くかではなく、何を描かないかだ。背景の説明や台詞を削っていけば、そこに流れる時間が鮮明になる。北野監督は、死に至る時間の流れを浮き彫りにすることによって、映画が何よりも時間の表現であることを明らかにしてみせた。

 第2期は、ビートたけし名義のコメディ『みんな〜やってるか!』とバイク事故というリセットを経て作られた『キッズ・リターン』、『HANA-BI』、『菊次郎の夏』。北野監督が、死ではなく生を見つめるようになったという解釈もできるが、それでは単純すぎるだろう。

 この3作品では、夢と挫折、不治の病に冒された妻、会うことが叶わない母親などをめぐって、死にも等しい決定的な“喪失”が描き出される。そんな喪失が、生と死の境界を曖昧にし、独特の儚さを醸し出すのだ。


   《データ》
1989 『その男、凶暴につき』

1990 『3-4×10月』

1991 『あの夏、いちばん静かな海。』

1993 『ソナチネ』

1994 『みんな〜やってるか!』

1996 『キッズ・リターン』

1997 『HANA-BI』

1999 『菊次郎の夏』

2000 『BROTHER』

2002 『Dolls』

2003 『座頭市』

2005 『TAKESHIS'』

2007 『監督・ばんざい!』

2008 『アキレスと亀』

2010 『アウトレイジ.』

 
 
 
 
 
 

 第3期は、アメリカ・ロケを敢行した『BROTHER』、日本的な美に迫った『Dolls』、時代劇の大作『座頭市』。この3作品に共通するキーワードは“様式”だ。北野監督は、兄弟盃のような盃事や指詰めといったヤクザの儀式や慣習、文楽や四季の風景、殺陣や日舞やタップといった様式を作品のなかで強調し、新たな地平を切り拓いた。

 第4期は、それぞれ俳優、監督、画家としての自己に目を向けた『TAKESHIS’』、『監督・ばんざい!』、『アキレスと亀』。この3部作で注目すべきなのは、『TAKESHIS’』に2人のたけしが、『監督・ばんざい!』に監督とその分身の人形が、『アキレスと亀』に画家を目指す主人公とその人格を支配するかのようなベレー帽が登場することだ。

 北野監督は、そうした二面性を示唆するイメージを通して、生と死、創造と破壊、現実と虚構といった対極にあるものがせめぎあう自己の世界を、距離を置いて見つめなおしている。

 そして、その距離は、第5期の幕開けを告げる『アウトレイジ』にも引き継がれているように思える。ギャング映画は北野監督の原点にしてトレードマークだが、この新作には大きな違いがある。

 ドラマも台詞もアクションも、省略は影を潜め、饒舌で過剰とすらいえる。これまでは無骨で死に急ぐような武闘派が主人公だったが、この映画では、そんな人物たちと、爪を隠し、器用に立ち回る官僚的な性格を持った人物たちを対置する。あるいは、死と金や権力への欲望を対置する。しかも、双方から距離を置き、俯瞰している。北野監督は、壮絶な下克上の世界を現代社会の縮図として象徴的に表現しているように見える。


(upload:2011/12/12)
 
 
 
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