ジム・カヴィーゼル・インタビュー
Interview with Jim Caviezel


2003年
シン・レッド・ライン/The Thin Red Line――1998年/アメリカ/カラー/171分/スコープサイズ/ドルビーSRD・SDDS
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(初出:「GQ Japan」1999年、若干の加筆)

 

 

“瞑想を通して、悲劇を超越した
戦争の悪について語る映画”
――『シン・レッド・ライン』(1998)

 

 第二次大戦を題材にした話題の映画『シン・レッド・ライン』で20年ぶりに復活を遂げたテレンス・マリック。彼は、これまで『地獄の逃避行』のマーティン・シーンや『天国の日々』のリチャード・ギアのように、当時まだそれほど名前を知られていなかった俳優を主役に起用してきたが、この新作で同じように重要な役に抜擢されたのがジム・カヴィーゼルだ。

 彼は、ガナルカナル島に上陸し、日本軍と死闘を繰り広げるC中隊の一員ウィット二等兵に扮し、戦場のなかで、札付きの脱走兵から中隊の運命の鍵を握る存在へと変貌し、内面的に独特の境地を切り開いていくことになる。

「ぼくはこれまで数本の映画に出演し、それなりの経験は積んできたけど、一般には無名に近く、こんな大役に起用したマリックの勇気は大変なものだと思う」

 大役を与えられたカヴィーゼルは、撮影前の早い時期から役作りに入っていた。

「ウィットはケンタッキー出身でボクサーという設定なので、ケンタッキーに行って訛りを身につけ、プロのボクサーに指導を受け、実際に新兵訓練に参加した。ぼくが一番参考になったのは、大戦を経験した退役軍人の人々から聞いたいろいろな話だった」


◆プロフィール◆

ジム・カヴィーゼル
1968年9月26日、ワシントン州マウント・ヴァーノン生まれ。学生時代はバスケットボールに専念していたが、足の負傷でNBAの夢を断念し、俳優を志す。91年に『マイ・プライベート・アイダホ』の端役で映画デビュー。

 

 


 この映画の撮影は彼にとって非常に新鮮な体験だったことだろう。なぜならマリックは、モノローグを多用し、ドラマや映像以外の部分で多くを語る作家でもあるからだ。

「撮影中は演技とモノローグの繋がりはまったく見えなかった。実際には演技をした場面の台詞が、完成した映画ではモノローグになっているくらいだから。この撮影では映画史上最長のフィルムをまわし、結果的にはミッキー・ロークやビル・プルマンといった有名な俳優の出演シーンも切られている。だから撮影中には全体像など想像もつかないんだ」

 彼は感情を表に出さないクールなタイプだが、感性や考え方は非常にしっかりしていて、完成した映画をこんなふうに解釈する。

「これは瞑想を通して、悲劇を超越した戦争の悪について語る映画であり、聖書の創世記の物語でもある。映画の始まりでウィットは楽園に迎えられるが、アダムとイヴのように罪を犯して追放される。そして日本軍と米軍はカインとアベルのように兄弟で殺し合いを繰り広げていくが、戦場を覆う暗雲のあいだからこぼれる光やラストシーンは、どんな闇にも光があることを物語っているんだ」

 筆者は、マリックが新作を含めたこれまでの三作品を通して、戦後のアメリカが失った大切なものを描きだそうとしてきたように思っている。そんなことを68年生まれのカヴィーゼルに尋ねても仕方がないとは思ったが、意外にも彼は興味深い話をしてくれた。

「マリックと親しい演技コーチによれば、マリックは20世紀のなかで大恐慌の時代が、生活は貧しかったが愛が最も豊かだった時代だと考えていて、『地獄の逃避行』(設定は50年代末)でも大恐慌を生きる若者のイメージを求めていたらしい。そういう意味では新作はそんな厳しい時代を乗り越えてきた愛のある若者たちの姿を描いているといえる。現代のぼくたちの世代のなかでは、愛は希薄になり、みんな利己的になっている。現代の若者がもし『タイタニック』の状況に置かれたら、九割の人間は女性や子供を守るよりもまず自分が助かろうとすると思う。しかし少なくともぼくはそんなことはしないよ」


(upload:2014/09/27)
 
 
《関連リンク》
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――『シン・レッド・ライン』と『U・ボート ディレクターズ・カット』をめぐって
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