この映画の撮影は彼にとって非常に新鮮な体験だったことだろう。なぜならマリックは、モノローグを多用し、ドラマや映像以外の部分で多くを語る作家でもあるからだ。
「撮影中は演技とモノローグの繋がりはまったく見えなかった。実際には演技をした場面の台詞が、完成した映画ではモノローグになっているくらいだから。この撮影では映画史上最長のフィルムをまわし、結果的にはミッキー・ロークやビル・プルマンといった有名な俳優の出演シーンも切られている。だから撮影中には全体像など想像もつかないんだ」
彼は感情を表に出さないクールなタイプだが、感性や考え方は非常にしっかりしていて、完成した映画をこんなふうに解釈する。
「これは瞑想を通して、悲劇を超越した戦争の悪について語る映画であり、聖書の創世記の物語でもある。映画の始まりでウィットは楽園に迎えられるが、アダムとイヴのように罪を犯して追放される。そして日本軍と米軍はカインとアベルのように兄弟で殺し合いを繰り広げていくが、戦場を覆う暗雲のあいだからこぼれる光やラストシーンは、どんな闇にも光があることを物語っているんだ」
筆者は、マリックが新作を含めたこれまでの三作品を通して、戦後のアメリカが失った大切なものを描きだそうとしてきたように思っている。そんなことを68年生まれのカヴィーゼルに尋ねても仕方がないとは思ったが、意外にも彼は興味深い話をしてくれた。
「マリックと親しい演技コーチによれば、マリックは20世紀のなかで大恐慌の時代が、生活は貧しかったが愛が最も豊かだった時代だと考えていて、『地獄の逃避行』(設定は50年代末)でも大恐慌を生きる若者のイメージを求めていたらしい。そういう意味では新作はそんな厳しい時代を乗り越えてきた愛のある若者たちの姿を描いているといえる。現代のぼくたちの世代のなかでは、愛は希薄になり、みんな利己的になっている。現代の若者がもし『タイタニック』の状況に置かれたら、九割の人間は女性や子供を守るよりもまず自分が助かろうとすると思う。しかし少なくともぼくはそんなことはしないよ」 |