『フォーン・ブース』の声の主は、スチュが自分の妻やクライアントを欺いていることをよく知っていて、真実を告白することを要求する。つまり、男の狙いははっきりしている。これに対して、『ザ・ウォール』のスナイパーの狙いは、なかなか見えてこない。彼は、アイザックを殺そうと思えば殺せたのに、傷を負わせるに留め、個人的なことを尋ねてくる。身動きが取れないアイザックは、姿なき敵との会話に応じつつ、必死に突破口を見出そうとする。
そんなふたりの会話には、この映画の隠れたテーマを示唆するような表現が巧妙に埋め込まれている。アイザックは、故障したと思った無線から聞こえてきた声の訛りに違和感を覚え、それが味方ではないことに気づく。そのとき声の主は、「カモフラージュだ。俺は言葉の陰に隠れてる。壁に隠れるのと同じだ」と語る。さらに、もっと後の会話では、スナイパーが、学校の一部だった壁に隠れるアイザックのことを、「イスラムの陰に隠れている」と表現し、それを聞いた彼は「死の陰に隠れている」と言い返す。
彼らの会話では、「〜の陰に隠れる」という表現が繰り返しによって強調されている。そして、それが単なる言葉遊びではないことが、やがて明らかになる。アイザックは、死んだ仲間のディーンのことを尋ねられることで、心をかき乱され、最後には真実を告白する。彼は物理的に壁の陰に隠れているだけではなく、内面でも壁を作り、その陰に隠れていたことになるのだ。
さらに、彼らの会話にはもうひとつ、見逃せないやりとりがある。それは、スナイパーが、「恐ろしい心臓の音がする」というエドガー・アラン・ポーの代表作「告げ口心臓」の一節を暗誦する場面だ。この短編の内容は、アイザックの心理と無関係ではない。この物語の語り手は、老人を殺して、床下に隠す。隣人が悲鳴を聞きつけて通報し、屋敷に警官たちがやってくる。完全犯罪をやり遂げたと信じる語り手は、彼らを迎え入れ、殺人現場で談笑する。ところが、語り手の耳に音が鳴り響き出し、次第に冷静さを失い、ついには自ら殺人を告白してしまう。
この映画のスナイパーは、アイザックにディーンのことを尋ねてはいるが、決して本気で追究しているわけではない。おそらくスナイパーは、最初からアイザックとマシューズのやりとりを傍受していて、アイザックがディーンの双眼鏡を使っていることを知り、その情報を会話で利用しようとしただけなのだろう。
ところが、ディーンのことを尋ねられることで、アイザックの内面の壁はガラガラと崩れ出し、彼は自分で自分を追いつめていく。もうひとりの登場人物であるマシューズとの関係も、そんな彼の心理に影響を及ぼしている。マシューズが狙撃されたとき、アイザックが不用意に飛び出し、彼を救おうとするのは、ディーンのことを引きずっているからに違いない。そして、すでに絶命していると思ったマシューズが生きていることがわかってからの一連の出来事が、アイザックの心を押し潰してしまう。
しかし、最も恐ろしいのは、スナイパーにとってアイザックの告白など何の意味もないことだ。彼はアイザックの絶叫に反応することもなく、次の行動に移っている。アイザックとマシューズが、パイプラインの作業員や護衛が倒れている状況を慎重に検証していれば、彼らの運命も違ったものになっていたかもしれないが、油断と心のわだかまりが取り返しのつかない事態を招いてしまう。この映画は、タイトルでもある「壁」に象徴的な意味を持たせることで、人間の複雑な心理を巧みに描き出している。 |