2005年に韓国のある聴覚障害者学校で信じがたい事件が発覚した。2000年から6年もの間、校長を始め教員らが複数の生徒たちに性的虐待を行っていた。『トガニ 幼き瞳の告発』は、この事件を題材にしたベストセラー小説の映画化だ。
美術教師カン・イノが恩師の紹介で赴任した田舎町の聴覚障害者学校は、校長の双子の弟の行政室長が平然と賄賂を要求したり、生徒たちが何かに怯えているなど、最初から不穏な空気を漂わせていた。
イノは寮長から過度の体罰を受けていた女生徒を病院に運んだことをきっかけに性的虐待の事実を知る。怒りに駆られる彼は、マスコミを利用して非道を正そうとするが、裁判をめぐって困難な壁が次々と立ちはだかる。
この映画は、真実を明らかにするための告発という重要な意味を持っているが、もうひとつ見逃せないテーマが隠れているように思える。筆者が最も印象に残ったのは、首謀者である校長が持つ組織力だ。それは、彼が地元の名士で、警察や法曹界と癒着しているため、権力があるという単純なことではない。
ポン・ジョノの『殺人の追憶』やイム・サンスの『ユゴ 大統領有故』の背後には“軍事主義”があった。『韓国フェミニズムの潮流』所収のクォン・インスクの論文「我われの生に内在する軍事主義」のなかで、軍事主義は以下ように説明されている。
「集団的暴力を可能とする集団が維持され力を得るために必要な、いわゆる戦士としての男らしさ、そしてそのような男らしさを補助・補完する女らしさの社会的形成とともに、このような集団の維持・保存のための訓練と単一的位階秩序、役割分業などを自然のことと見なすようにするさまざまの制度や信念維持装置を含む概念」
そんな制度や装置は、民主化によって体制が変わってもすぐに消え去るわけではない。
この映画では、イノが信頼していた人物たちが、裁判の進展のなかで予想外の行動をとるが、そこにはどんな力が働いているのか。筆者には、告発のドラマが内面化された軍事主義を炙り出す役割も果たしているように見える。
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