ヤン・イクチュン監督の長編デビュー作『息もできない』では、荒っぽい取り立て屋のサンフンと孤独な女子高生ヨニの心の触れ合いが描かれる。主演も兼ねるヤン・イクチュンとヨニ役のキム・コッピが見せる生身の人間の痛みや哀しみ、怒りには心を揺さぶられるが、深い感動を生み出す要因は決してそれだけではない。
この映画は、路上で男が女を殴っている場面から始まる。そこに現れたサンフンは男を殴り倒す。だが、女を助けたかに見えた彼は、彼女に唾を吐き、頬を叩き、殴られてばかりでいいのかと罵る。この導入部は、サンフンとヨニの出会いの伏線となる。路上でサンフンが吐いた唾が、そこを通りかかったヨニの胸にかかり、ひるむことなく文句をつけた彼女はサンフンに殴られて気を失う。そして、ヨニが意識を取り戻したとき、彼はまだそこにいて、ふたりの奇妙な交流が始まる。
こうした男と女に対する監督の視点と表現は、主人公たちの背景が見えてくるに従って、深い意味を持つことになる。刑務所から出所してきたサンフンの父親は、かつて母親に暴力をふるいつづけ、母親とサンフンの妹を死に追いやった。ヨニの父親はベトナム帰還兵で、精神的な後遺症に苦しみ、妄想にとらわれて暴力をふるい、家族は崩壊寸前の状況にある。
この映画が描く家族の現実は、韓国の歴史と無関係ではない。朴正煕(パク・チョンヒ)政権は、60年代後半から70年代初頭にかけてベトナム派兵を行うことで特需を生み出し、韓国は奇跡といわれる経済発展を成し遂げた。そして、朴正煕とその後の軍事政権を支えた“軍事主義”は、社会や家族、そして男女の立場に多大な影響を及ぼしてきた。
『韓国フェミニズムの潮流』に納められたクォン・インスクの「我われの生に内在する軍事主義」には、以下のような記述がある。軍事主義とは、「集団的暴力を可能とする集団が維持され力を得るために必要な、いわゆる戦士としての男らしさ、そしてそのような男らしさを補助・補完する女らしさの社会的形成とともに、このような集団の維持・保存のための訓練と単一的位階秩序、役割分業などを自然のことと見なすようにするさまざまの制度や信念維持装置を含む概念」なのだ。
その軍事主義は、朴正煕大統領暗殺事件を題材にしたイム・サンス監督の『ユゴ 大統領有故』や軍隊生活を描いたユン・ジョンビン監督の『許されざるもの』でもテーマになっている。だが、この『息もできない』では、政治や軍隊の世界ではなく、日常生活のなかで、内面化された軍事主義が炙り出される。
サンフンは、父親から軍事主義的な男らしさや暴力を引き継いだ。しかし、彼の心の奥には、殴られる母親や妹の痛みが潜んでいる。だから、導入部のエピソードが物語るように、殴られっぱなしの女に苛立つ。さらに、彼の仕事ぶりにも注目すべきものがある。取り立て屋は、ホモソーシャルな連帯関係によって排他的な集団を作り上げるが、彼はそんな連帯関係に反発するかのように弟分たちに苛立ちをぶつける。 |