アメリカにおけるヒスパニックの人口は4000万人を越え、最大のマイノリティとなっている。政治学者のサミュエル・ハンチントンは、その著書『分断されるアメリカ』のなかで、ヒスパニックが今後も増加していけば、文化や言語をめぐってアメリカが二分化される可能性があることを示唆している。
ロサンゼルスは、そんなヒスパニックの躍進を象徴する都市といってよいだろう。1950年、ロサンゼルスはアメリカのなかで最も白人が多い大都市だった。しかし、2000年には、人口の比率がヒスパニックの47%に対して白人が29%まで落ち込み、最も白人が少ない大都市となっていた。また昨年(2005年)の5月には、そのロサンゼルスに、アントニオ・ビリャライゴサというメキシコ系の新市長が誕生した。
『スパングリッシュ』の物語は、そんな現実を踏まえてみると、さらに興味深く思えてくることだろう。メキシコでシングルマザーとなったフロールは、娘のクリスティーナの将来を案じ、よりよい生活を求めて二人で国境を越える。彼女が新天地に選ぶのは、ヒスパニックが多数派を占めるロサンゼルスだ。
そこには、言葉が異なるふたつの国があるように見える。自分の言葉や文化にこだわりを持つフロールは、ヒスパニックのコミュニティに落ち着き、そこから一歩も外に出ようとはしない。英語がまったく話せなくても、コミュニティのなかにさえいれば、以前と同じように生活していくことができるからだ。しかし間もなく、彼女が外の世界に踏み出さなければならない時がやって来る。
ヒスパニックのコミュニティのなかでは、どうしても安い賃金で働かなければならない。だから彼女は、仕事を掛け持ちしていたが、それでは娘の面倒も満足に見られない。そこで、郊外に住む裕福な白人家庭のハウスキーパーとなる。但し、外の世界に踏み出しはしたものの、彼女の姿勢が変わるわけではない。あくまで仕事と割り切り、英語が話せない傍観者に徹しようとするのだ。しかし次第に、家族のぎくしゃくした関係を見て見ぬふりができなくなり、一線を越えることになる。
その白人一家がぎくしゃくしているのは、仕事を辞めて専業主婦となった母親のデボラが、家庭に居場所を見出せず、アイデンティティの危機に直面しているからだ。彼女は、不安を消し去るために、自己中心的な振る舞いを繰り返し、一流のシェフでありながらあまりにも優しすぎる父親のジョンは、それをどうすることもできない。
マチスモ(男性優位主義)の伝統があるヒスパニックの世界で生きてきたフロールは、彼らの関係に戸惑うと同時に、ジョンというこれまで出会ったことのないタイプの男性に興味を覚える。そんな彼女は、娘のクリスティーナがこの一家と親しくなり、白人社会に同化していくのを目の当たりにして、自分の立場や姿勢を明確にするために英語を学ぶ決意をする。
だがもちろん、本当に重要なのは言葉ではない。英語で話ができても、デボラはジョンの思いを理解できないし、スペイン語で話ができても、クリスティーナがフロールの思いを理解するのはもっと先のことだ(この映画は、成長したクリスティーナが母親の物語を語る構造になっている)。この映画のポイントになるのは、言葉ではなく、ジョンが一流のシェフであることだ。ジョンとフロールが、彼のレストランで二人だけで過ごし、料理を通して理解しあうとき、そこは言葉や文化を越えた特別な空間になるからだ。 |