「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」で長編デビューを飾ったガイ・リッチー監督は、イギリスのタランティーノ≠ニいうように言われていた。「レザボア・ドッグス」を除いて、タランティーノ作品があまり好きになれない筆者は、それを聞いてあまり期待せずにこのデビュー作を観たのだが、実際にはぜんぜんタランティーノではなかった。
その決定的な違いは、背景にある。タランティーノは、時代のリアルな空気が漂うような背景、あるいは他者との境界を明確にするような背景を徹底的に排除し、極端で過剰なキャラクターや台詞、オタク趣味を中心としたシチュエーションを積み上げていく。これに対して、「ロック、ストック〜」の登場人物たちは、トリックにはめられるハスラーと彼の仲間の労働者も、マリファナを栽培する上流階級の若者も、ギャングたちも、
それぞれの背景から立ち上がってきている。だからこそ、壮絶な金の奪いあいのなかで、階級やその道の玄人と素人の境界が崩れていくところが、サッチャリズム以後の時代を象徴する面白さがあるのだ。
ところが、その「ロック、ストック〜」につづくガイ・リッチーの新作「スナッチ」は、完全にタランティーノ的なスタイルになってしまっている。壮絶な奪い合いを演じる人物たちの関係は前作以上に複雑に入り組んでいるが、その結果として削られることになったのは、登場人物たちの背景である。そして、そんな背景の希薄さを補うのは、登場人物たちの極端で過剰なキャラクターやタフでコミカルなシチュエーションということになる。
ここには、壮絶な奪い合いはあっても、それは他者とのリアルな衝突ではない。背景を欠いた、いかにもそれらしいだけのキャラクターが、表層的な火花を散らしあっているに過ぎない。アメリカ人のギャングが、わずか数秒のギミックでロンドンにやってくるシーンは、現代のイギリスとアメリカの文化的/社会的な距離というものを端的に物語っているが、しかしこれではもはや風刺にもなにもならない。スピードやスリルはあっても、映画的なダイナミズムには結びつかないのだ。
そしてもうひとつ、登場人物たちが奪い合うものの違いが、「ロック、ストック〜」との違いを物語っている。「ロック、ストック〜」では、マリファナや金の奪い合いに、二挺のマスケット銃が紛れ込むが、目先の金を追いかける連中は誰もその価値に気づかず、気づいたときには手遅れとなっている。このマスケット銃は、失われていく歴史や伝統を象徴し、映画の大きなポイントになっている。しかし「スナッチ」で登場人物が奪い合うのは、ただばかでかいだけの宝石で、
その宝石はもちろん何の意味も持っていないのだ。
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