ひと癖もふた癖もあるキャラクターが入り乱れる、スタイリッシュでコミカルなこの犯罪映画は、一見するとタランティーノ風の作品に見える。しかしこれは決して、オタクなディテールやシチュエーションだけで勝負する映画ではない。見逃せないのは、金をめぐる実にひねりのきいたドラマを通して、現代のイギリス社会を浮き彫りにする鋭いユーモアのセンスだ。
イギリスといえば、かつては「揺りかごから墓場まで」のスローガンが物語るように、福祉がトレードマークだったが、鉄の女サッチャーはそれを対極の世界に変えた。いまや頼りになるのは自分だけで、金がなければ何もできない。そして、拡大する消費社会の裏ではドラッグをめぐって大金が動く。このドラマからはそんな現実が見えてくるのだ。
上流階級の若者たちも、金が欲しければ大麻の栽培だってやる。彼らが儲けていることを知ったあるギャングたちは、その隠れ家を襲撃してお宝をいただく計画を立てる。一方、カードの勝負で多額の借金を作った主人公のハスラーとその3人の仲間は、このギャングの計画を耳にして、お宝の横取りを企む。というようにしてこのドラマには、筋金入りのギャングにコソ泥、上流階級に労働者などが入り乱れていく。
要するに、どんなことをしても金を手にしたいという欲望のもとでは誰もが平等であり、凄まじい争奪戦のなかでは、その道の玄人と素人、階級の違いなどはまったく意味を失う。そればかりか、この争奪のゲームを仕切っているはずのギャングのドンが、逆に自分の首を絞めることにもなる。
そんな展開のなかで印象的なのが、過去の因縁や歴史といったものの運命である。主人公である駆け出しのハスラーと、カードの勝負で彼をはめたギャングのドンとの間には、その昔、ハスラーの父親がこのドンと勝負して勝ち、その金で渋いバーを作ったという因縁がある。ハスラーは、借金を返せなければその父親のバーを奪われることになる。
そんな背景があれば、この因縁をめぐる様々な感情が膨らんでいってもよさそうなものだが、目先の欲望だけが支配するこの争奪ゲームのなかでは、そんな因縁は完全に隅に追いやられていく。
そしてもっと象徴的なのが、二挺のマスケット銃だ。ギャングのドンは、金とは別に骨董品として非常に価値のある二挺の銃を、没落貴族から奪おうとするが、ちょっとした手違いでその銃も金の争奪ゲームに紛れ込んでしまう。ところが銃の価値がわかるのはこのドンだけで、金だけを求める連中にはガラクタにすぎない。主人公たちがその価値を知る頃にはすべて手後れになっている。
ドラッグも含めてアメリカ的な消費社会へと急激に移行する状況のなかでは、歴史や伝統的な価値などは、そんなふうにあっさりと消え去ってしまうのである。 |