[概要] 1841年、北部のニューヨーク州で自由黒人として妻子と暮らすソロモン・ノーサップは、ある日突然誘拐され、南部の奴隷州で12年間、奴隷として生きることを余儀なくされた。再び自由を取り戻した彼は、その体験を綴った回想録『12 Years a Slave』を発表し、ベストセラーになった。『それでも夜は明ける』は、そのノーサップのベストセラーの映画化。監督は、『SHAME−シェイム−』の鬼才スティーヴ・マックィーン。
イギリス出身の鬼才スティーヴ・マックィーンの映画を観ることは、主人公の目線に立って世界を体験することだといえる。
たとえば、前作『SHAME−シェイム−』では、私たちは冒頭からセックス依存症の主人公ブランドンの日常に引き込まれる。彼は仕事以外の時間をすべてセックスに注ぎ込む。自宅にデリヘル嬢を呼び、アダルトサイトを漁り、バーで出会った女と真夜中の空き地で交わり、地下鉄の車内で思わせぶりな仕草を見せる女をホームまで追いかける。だが、彼の自宅に妹が転がり込んできたことで、セックス中心に回ってきた世界はバランスを失っていく。この映画では、なぜ彼が依存症になったのかは明らかにされない。
新作『それでも夜は明ける』では、そんなマックィーンのアプローチがさらに際立つ。映画のもとになっているのは1853年に出版されたソロモン・ノーサップの回顧録だが、その原作と対比してみると映画の独自の視点が明確になるだろう。
原作では最初に、奴隷から自由の身になった父親、自身の結婚や妻子との生活、カナダへの旅行、鉄道建設などこれまで関わった仕事、北部で偶然に出会った奴隷のことなど、拉致以前の様々な出来事が綴られる。自由を奪われて南部に向かう船では、同じ立場の黒人ふたりとかなり綿密な脱走計画を立てるが、実行の直前にひとりが天然痘で死亡し、流れてしまう。後にソロモンも発症するが、病院に運ばれなんとか回復する。
南部では、プラットとなった彼を敵視するティビッツの襲撃が一度では終わらない。二度目の襲撃では、凶暴な犬から逃れるために、毒蛇や鰐だらけの沼地を彷徨いつづけることになる。そして、カナダ人バスの手紙がソロモンの故郷に届いたあとも、関係者が必要な手続を踏み、彼を捜し出すまでに紆余曲折のドラマがある。
マックィーンは、そんな題材から情報やエピソードを削ぎ落とし、独自の世界を作り上げている。『SHAME−シェイム−』と新作を結んでみれば、彼が強い関心を持っているのが“檻”に囚われた人間であることがわかる。『SHAME−シェイム−』のブランドンは、妹という他者の視線にさらされることで自分が依存症という檻に囚われていることを自覚するが、身の周りからセックスに関わるものをすべて排除しても、精神の檻からは容易に抜け出すことができない。
『それでも夜は明ける』のソロモンは、奴隷制という檻に囚われる。しかし、そんな状況に陥っているのは彼だけではないし、他の奴隷たちだけでもない。ソロモンは原作のなかで、悪いのは冷酷な奴隷所有者よりも、彼らが立脚している制度であり、彼らは自分を取り巻く習慣や集団の影響を免れることができないといった指摘をしている。そしてマックィーンも、制度という檻を映像で見事に表現している。 |