本書は、19世紀前半に起こったアミスタッド事件、あるいはアミスタッド号の反乱と呼ばれる史実に基づいて書かれた物語である。
この事件は1839年、西アフリカのメンデ族の土地からアフリカ人たちが拉致され、スペイン人の奴隷商人に売られたことに始まる。彼らは劣悪な環境の奴隷船でキューバのハバナに送られ、そこで地元の奴隷商人に買い取られ、皮肉にも“友愛”を意味するアミスタッド号という船に乗せられプエルト・プリンシペに移送されることになった。しかし自分たちが殺されるという噂を信じた彼らは、リーダーとなったシンケを先頭に武装蜂起し、船長らを殺害し、船を乗っ取りアフリカに戻ろうとする。
彼らは2ヶ月にわたって海上をさまよったあげくに沿岸警備にあたるアメリカの軍艦に拿捕される。そして今度は、奴隷制の是非をめぐって揺れるアメリカの法廷で自由を求める闘いが始まる。彼らは殺人と海賊行為によって投獄されるが、最終的に最高裁にまで至る裁判の果てに自由を勝ち取り、アフリカの故郷への帰還を果たすのだ。
このアミスタッド事件はいまアメリカで大きな注目を集めている。この実話が様々なメディアで取り上げられ、歴史に新たな光があてられているのだ。その話題の中心にあるのは、昨年末から公開されているこの実話を映画化したスティーヴン・スピルバーグ監督の新作『アミスタッド』といっていいだろう。しかし映画だけではない。これまでマルコムXやパティ・ハーストといった題材をオペラ化してきた作曲家アンソニー・デイヴィスも新作としてこの実話をオペラ化し、昨年の11からシカゴで上演されている。
それからアミスタッド事件を題材にした小説やノンフィクションも昨年から今年にかけて次々と出版され、これから出版されるものも少なくない。そのなかには、アラバマ大学教授ハワード・ジョーンズが著したアカデミックな研究書『Mutiny on the Amistad』のように、しばらく絶版になっていたものが復刊される作品なども含まれている。
この復刊の例からもわかるように、アミスタッド事件は、これまで歴史の闇に葬られてまったく知られていなかったというわけではない。この事件を題材にした書籍を振り返ってみると、かつて1960年代の後半から70年代の初頭にかけて何冊かまとめて出版されたことがあり、公民権運動やカウンター・カルチャーの盛り上がりのなかで事件が注目を浴びたことがわかる。
確かにこの事件は、アメリカの黒人解放の歴史の流れのなかで興味深い位置を占めている。この事件が起こる前の1920年代から30年代にかけてアメリカでは、都市化が進み製造業が発展する北部自由州と経済的な基盤を奴隷制に大きく依存する南部奴隷州のあいだで、奴隷制をめぐる対立が深まりつつあったからだ。この頃には黒人たちも戦闘的な姿勢を打ちだすようになり、北部の奴隷解放論者たちの活動も活発になっていた。
たとえば、ノースカロライナ出身の元奴隷デイヴィッド・ウォーカーは、20年代末に黒人の抗議文を発表し、最終的な手段として武力による抵抗を呼びかけた。30年代初頭にはヴァージニア州で大規模な奴隷暴動であるナット・ターナー事件が起こった。そして奴隷制度廃止論者たちは、1833年にフィラデルフィアで奴隷制反対協会を結成し、運動の組織化を進めようとした。しかしながら、本書にも描かれているように、奴隷制廃止運動は、政治力を持つ奴隷制支持者たちの圧力と手段を選ばない激しい反発にあい、30年代末に向かって活動が停滞しつつあった。アミスタッド号で反乱を起こしたアフリカ人たちは、はからずもそんな状況にあるアメリカに闖入することになったのだ。
そして結果的に彼らの存在は、奴隷制廃止論者たちが再び結束し、活動を発展させていくきっかけを作ることになった。廃止論者たちは、アミスタッド裁判をひとつの前例として、奴隷制の問題を訴え活動を国中に広げるために次第に司法制度を利用するようになる。また、福音伝道主義的な立場から廃止運動を展開したルイス・タッパンは、本書のなかでアフリカ人たちを救済するために貢献するが、その遺産として彼が主導するアメリカ伝道協会は、黒人を教育するための学校や大学のネットワークを作り、さらに海外にも黒人を援助する伝道所や施設を設け、急速に発展していくのだ。
というように公民権運動という視点から振り返ってみると、アミスタッド事件がひとつの記念碑的な出来事になっていることがわかるが、いままたこの実話が注目されるのには別の理由もあるのではないだろうか。それは本書の内容が饒舌に物語っているように思う。
著者のウィリアム・A・オーエンスは本書の英語版のあとがきでこの実話の魅力に言及している。彼は初めてこのシンケとアミスタッドの反乱の話を聞いたとき、まず何よりもこの話がドラマティックに発展していく可能性を秘めていることに魅了されたという。そこで事件の顛末に関する綿密なリサーチを終えた彼は、集めた記録や資料をもとにあくまで事実に忠実なノンフィクションにするか、ドラマティックな物語として表現するか検討した末に、後者を選んだ。彼はドラマティックな物語を構築するために、いくらか会話を創作したり、いくつか新たな設定を物語に加えたという。つまり、歴史的に見て重要な意味を持つ事件であることは間違いないが、それ以前にまず何よりも、この実話に出会った人間をぐいぐいと引き込み、想像力をかきたてずにはおかないような物語性が脈打っているということだ。 |