灼熱
Zvizdan / The High Sun The High Sun (2015) on IMDb


2015年/クロアチア=スロベニア=セルビア/カラー/123分/クロアチア語/スコープサイズ/5.1ch
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(初出:『灼熱』プレス/劇場用パンフレット)

 

 

紛争「以後」を生きる人々の物語

 

 1975年、クロアチアのザグレブ生まれのダリボル・マタニッチが監督した『灼熱』を観て、筆者が真っ先に思い出したのは、ミルチョ・マンチェフスキー監督の『ビフォア・ザ・レイン』(94)のことだった。マケドニア出身のマンチェフスキーのこの長編デビュー作は、マケドニア人とアルバニア人の紛争を背景にした3つの物語で構成されている。その3つの物語のなかで舞台はマケドニア、ロンドン、マケドニアへと変わり、異なる男女がそれぞれに苦境に立たされ、彼らの関係を引き裂く死を幕切れとして次の男女の物語へと引き継がれていく。そして、最後に時間がねじれ、物語は映画の冒頭へと戻り、悲劇の循環が生み出される。

 『灼熱』もクロアチア人とセルビア人の紛争を背景にした3つの物語で構成されている。その3つの物語は、1991年、2001年、2011年という明確な設定で区切られ、登場する男女も異なるが、男女を同じ俳優が演じ、同じ場所を舞台にしているために、物語が直線的に並ぶだけではなく、より密接な繋がりが生み出されている。

 しかし筆者は、必ずしも共通点を指摘するためだけに2作品を対比したわけではない。重要なのはむしろ違う部分だ。『ビフォア・ザ・レイン』は、紛争そのものを独自の視点からとらえている。『灼熱』で重視されているのは、紛争以後をどう生きるかということだ。もちろん、そんなテーマを扱っているのはマタニッチだけではない。そこで、『灼熱』に話を進める前に、このテーマからどんな世界が切り拓かれているのか確認してみたい。

 クロアチアのベテラン監督デヤン・ショラクが作ったブラック・コメディ『Two Players from the Bench』(05)は、このテーマについて考えるうえでとても参考になる。この映画は、ダニス・タノヴィッチ監督の『ノー・マンズ・ランド』(01)と共通点があり、比較してみると紛争以後を掘り下げることの意味が明確になる。

 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ生まれのタノヴィッチの長編デビュー作『ノー・マンズ・ランド』では、紛争の最中にボスニアとセルビアの中間地帯にある塹壕で、偶然の成り行きでボスニア軍兵士とセルビア軍兵士が対峙することになる。孤立した空間で皮肉な運命共同体となった彼らは、国連防護軍やマスコミを巻き込みながら、主導権を奪い合う。

 一方、実話にインスパイアされたショラクの『Two Players from the Bench』は、元兵士のクロアチア人とセルビア人の男が、それぞれに騙されて、同じ部屋に監禁されるところから始まる。彼らを騙した組織の企みは、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷によって起訴されたクロアチア人の大佐の裁判に関係している。その裁判で大佐を弁護するはずだった二人の証人が姿を消したため、彼らに似た人物を探し出し、替え玉に仕立てようとしていたのだ。

 2本の映画から浮かび上がる状況はよく似ているが、紛争の只中と紛争以後では、主人公が果たす役割がまったく違う。『ノー・マンズ・ランド』の主人公たちは、憎しみの感情や国連防護軍の官僚的な体質、話題性だけを求めるマスコミの姿勢などを炙り出す触媒となり、最終的には単純な対立の図式に呑み込まれてしまう。これに対して『Two Players from the Bench』の主人公たちは、最初は激しくいがみ合うが、金で替え玉を引き受けたことから共犯関係が生まれ、最終的には主導権を得て、自分たちの望みを叶えていく。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   ダリボル・マタニッチ
Dalibor Matanic
撮影監督 マルコ・ブルダル
Marko Brdar
編集 トミスラヴ・パヴリッチ
Tomislav Pavlic
音楽 アレン・シンカウズ、ネナド・シンカウズ
Alen Sinkauz, Nenad Sinkauz
 
◆キャスト◆
 
イェレナ/ナタシャ/マリヤ   ティハナ・ラゾヴィッチ
Tihana Lazovic
イヴァン/アンテ/ルカ ゴーラン・マルコヴィッチ
Goran Markovic
イェレナ/ナタシャの母 ニヴェス・イヴァンコヴィッチ
Nives Ivankovic
サーシャ ダド・チョーシッチ
Dado Cosic
ボージョ/イヴノ スティッペ・ラドヤ
Stipe Radoja
イヴァン/ルカの父 トゥルピミール・ユルキッチ
Trpimir Jurkic
イヴァンの祖母 ミラ・バニャッツ
Mira Banjac
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(配給:マジックアワー)
 

 紛争以後をどう生きるかということは、自分たちを取り巻く世界をどう見るか、どう受け入れていくかということでもある。旧ユーゴ諸国出身で、紛争以後に関心を持つ監督たちは、それぞれに独自のスタイルでそんな個人の認識と世界の関係を掘り下げようとしているように見える。

 たとえば、女性監督ヤスミナ・ジュバニッチにとって3作目となる『For Those Who Can Tell No Tales』(13)にはそれがよく表れている。サラエボ生まれの彼女は、『サラエボの花』(06)、『サラエボ、希望の街角』(10)で、心と身体に深い傷を負ったヒロインが紛争以後を生きる姿を描き出してきたが、ドキュメンタリーの要素を取り入れた第3作では異なる次元から紛争以後に迫っている。

 ボスニアを訪れたオーストラリア人旅行者のキムは、ガイドブックの勧めに従ってヴィシェグラートのホテルに泊まるが、どうしても寝つけなかった。そんな彼女は、帰国してからそのホテルが、紛争中に多くの女性たちが犠牲になった“レイプ・キャンプ”になっていたことを知る。この映画は、認識の違いによって世界がまったく違うものになることを物語る。住人たちは過去を封印して前進することを目指す。一方、キムはホテルに戻り、忘れ去られた死者たちを弔うのだ。

 では、ダリボル・マタニッチは、紛争以後をどのようにとらえているのか。彼は、2000年にスーパーのレジ係として働くシングルマザーを主人公にしたコメディ『The Cashier Wants To Go to the Seaside』で監督デビューを果たし、その後、様々なスタイルを駆使してコンスタントに作品を発表しつづけてきたが、筆者が知る限り民族紛争を扱うのは今回の『灼熱』が初めてになる。但し、これまでの作品と『灼熱』に接点がないわけではない。特に、マタニッチの出世作となった2作目の『Fine Dead Girls』(02)は注目に値する。

 この映画は、若いレズビアンのカップルがザグレブ郊外の寂れた地域にアパートを借りるところから始まる。女家主は美人のヒロインを気に入り、息子に紹介したいと思うが、彼女たちが愛し合う姿をたまたま覗き見てしまったことから態度が急変する。そして、コミュニティに噂が広まり、激しい憎悪と暴力が彼女たちを追いつめる。ヒロインはレイプされ、激昂したパートナーも悲劇に見舞われる。

 この映画には、セルビア人を憎み、妻に暴力を振るう元兵士なども登場し、コミュニティが社会の縮図になっている。しかし、最も印象に残るのは、最後にヒロインが、異性愛者として生きる道を選んでいることだ。当時の社会をリアルに描くことを目指したマタニッチは、そんな結末を選択した。『灼熱』は、この映画のヒロインの運命やマタニッチの視点を踏まえてみるとより興味深いものになる。

 『灼熱』でまず際立つのは、緻密な構成だろう。同じ舞台でクロアチア人とセルビア人の男女の物語が描かれるにもかかわらず、単純な繰り返しがない。第1話でイヴァンとイェレナを引き裂くきっかけを作るのはイェレナの兄だ。第2話では、アンテとナタシャは初対面で、直接的な因縁はない。第3話では、ルカの母親が彼とマリヤを引き裂いたと想像される。さらに、ヒロインと母親の関係も見逃せない。イェレナの母親は、娘の気持ちを尊重し協力しようとする。ナタシャは母親の気持ちを受け入れることができない。そして第3話では、マリヤ自身が母親になっている。そんな構成が、男女の関係や彼らを取り巻く状況を一面的にとらえることを許さない複雑な世界を作り上げている。

 一方、そんな世界と対置されているのが海だ。この映画では、海と陸の間に一線が引かれ、海だけが解放の場になっている。第2話でアンテとナタシャが泳ぐシーンは短いが、決別を前提としたセックスよりもふたりが結びついているように感じられる。そして第3話では、海が変容のための重要な舞台となる。マリヤに拒絶されたルカは、ドラッグとセックスに逃避しようとするが、海のなかで決して消し去ることができないものを見る。それは彼を取り巻く世界に対する認識が変わる覚醒の瞬間といえる。

 マタニッチが『Fine Dead Girls』を作っていた時期は、この映画の第2話の時代設定と重なる。そこに登場するナタシャは、『Fine Dead Girls』のヒロインと同じように、最終的に自身の感情や欲望を否定する。しかし、第3話では男女を隔てる深い溝が埋められていく。それはただ時代が変わったことを意味するわけではない。3組の男女を同じ俳優が演じるこの映画では、緻密な構成のなかで時代や個人の境界が曖昧になり、男と女、呪縛と解放を象徴する陸と海に還元され、その関係の変化から紛争以後を生きるための新たな道が切り拓かれる。

 『灼熱』に始まる3部作の構想を持つマタニッチは、これまでの作品とはまったく異なるスタイルで個人の認識と世界の関係を掘り下げ、リアリズムを突き抜けた新たな次元に踏み出そうとしている。


(upload:2017/07/30)
 
 
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