『せかいのおわり』の終盤で、“苔moss”店長の三沢が、水槽の熱帯魚を見つめながら、こんな台詞を口にする。
「平和だね、でもちょっと寂しい、なんつって」
この映画に登場する3人の主人公のなかで、三沢はドラマの中心にいる人物ではないが、彼のこの言葉には、映画の魅力が集約されているように思う。
『せかいのおわり』の出発点になっているのは、風間監督の前作『火星のカノン』のなかで、不倫関係にある主人公の男女に絡む存在だった聖と真鍋だ。そのふたりの関係は、真鍋自身によってこんなふうに説明されていた。もともと彼は聖の姉と付き合っていて、その姉と別れた後も、聖との付かず離れずの関係がつづいている。彼はこれまで聖に4回告白したが、すべて玉砕した。セックスまでいったこともあるが、恋人同士としての関係はつづかなかった。
『せかいのおわり』の主人公は、キャストは中村麻美と渋川清彦でも、彼らが演じる人物は、聖と真鍋ではなく、はる子と慎之介であり、設定もそのまま引き継がれているわけではない。この映画は、恋人同士にはならない(なれない)親密で継続的な関係というものを、『火星のカノン』とはまったく異なる視点から掘り下げていく。
この映画でまず注目しなければならないのは、9・11以後の時代に対する明確な意識だろう。テレビからは、中東の自爆テロや少女の失踪、異常気象などのニュースが流れてくる。そしてドラマにも、はる子が子供の頃に思い描いた大洪水、飛行機が吹き飛ぶ幻想、中本のトラウマになっている落とし穴、ラズベリーアイスによって全滅する熱帯魚など、“せかいのおわり”を想起させるイメージが散りばめられている。
風間監督は、そうしたイメージと巧みな構成、演出によって、主人公たちがそれぞれにせかいのおわりと向き合う姿を描き出そうとする。そのポイントになるのは導入部だ。 |