昨年(2001年)観た邦画のなかで、筆者が最も愛着を持っている作品といえば、それは『非・バランス』だ。ヒロインは中学2年のチアキ。小学生時代にイジメにあった彼女は、「クールに生きていく」、「友だちを作らない」というルールを守ることで何とか自分を支えているが、過去は悪夢となって付きまとってくる。そんな彼女は、ひょんなことからオカマの菊と出会い、変貌を遂げていく。
この『非・バランス』で脚本を手がけた風間志織が、『冬の河童』以来7年ぶりに監督した新作が『火星のカノン』であり、『非・バランス』で監督デビューを飾った冨樫森の第2作が『ごめん』である。『火星のカノン』は大人の世界を、『ごめん』は子供の世界を扱った作品だが、それぞれに『非・バランス』が脳裏をよぎる部分があり、人と人の関係や距離に対する関心や洞察が際立ち、ふたりの監督の感性や表現が印象に残る。
『非・バランス』の風間志織の脚本と魚住直子の同名原作の最も大きな違いは、オカマの菊の存在だった。原作でヒロインが出会うのは、アパレルメーカーに勤めるOLで、彼女のなかにはデザイナーになれない屈折感が巣くっているが、ヒロインがこの大人の問題に直接介入することはない。これに対して菊は昔の男の借金を背負い込まされ、自分の店まで手放すはめになる。その男が妻子とのうのうとしているのを目の当たりにしたチアキは、独断で大人の問題に介入する。その行為はある意味で菊をいっそう惨めにするが、その孤独こそが、ふたりの関係を新たな次元へと引き上げる役割を果たすのである。
『火星のカノン』では、この人と人の関係をめぐって生じる新たな次元が、さらに掘り下げられていく。プレイガイドで働く一人暮らしの絹子は、妻子がある公平と付き合っているが、彼らは火曜日にしか会うことができない。そんな絹子の前に、かつてのバイトの後輩だった聖が頻繁に出没するようになる。彼女は絹子に妙に親切にする一方で、公平との不倫関係には批判的で、彼と別れるように執拗に迫ってくる。聖には、"路上の言葉職人"を自称する真鍋というボーイフレンドがいるように見えるが、実は彼女は、絹子のことが死ぬほど好きだったのだ。
このドラマでは、意外なところから孤独が生まれ、それが膨らんでいく。絹子は、公平と自分の立場をわきまえ、彼を自分の部屋には上げないというような明確な一線を引いている。ところが聖から不倫を批判されると、逆にその関係に固執するようになり、成り行きで一線を越えてしまう。すると一時的にはこれまで以上の幸福感に浸れるが、その後には寂しさがいっそうつのる。そして、聖の本心がわかると、彼女に驚くほど冷酷になり、さらに不倫関係にのめり込み、無理な期待をし、これまでにない孤独に苛まれる。
しかし、絹子や聖のこの孤独こそが新たな関係の糸口となる。聖は、絹子をもっとよく知るために公平に迫ることも厭わず、絹子は、真鍋と寝てみることで聖を身近に感じるようになり、やがて新しい愛のかたちの可能性が開けてくる。それは、絹子と聖のふたりだけでは決して作りえなかった関係だが、最後に絹子が見る夢は、人間に孤独がある限りカノンに終わりがないことを暗示してもいるのだ。
一方、冨樫監督の『ごめん』では、大阪の郊外に暮らす小学6年の少年セイを主人公に、性の目覚めと初恋が描かれる。彼はごくごく普通の男の子だが、この年にしてクラスでいち早くオチンチンから白い"お汁"が出るようになり、しかも、京都の祖父母を訪ねたときに偶然出会ったナオという少女に一目惚れしてしまう。このふたつの大事件にまったく心の準備ができてなかった彼は、戸惑いつつも果敢にチャレンジし、その結果にひどく落ち込むことになる。
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