社会学者トッド・ギトリンの著書『アメリカの文化戦争』には、アメリカという国家について、著名なジャーナリストだった故ウォルター・リップマンのこんな言葉が引用されている。「アメリカを統一するものは過去に対する憧れや畏敬ではなく、確かな目的意識と子孫にもたらす運命の強い自覚である。アメリカは常に国家であると同時に夢でもあった」
わかりやすくいえば、長い歴史があるヨーロッパの国々が、過去の伝統を基盤としているのに対して、移民が作り上げた新世界であるアメリカは、伝統を遠ざけ、未来への期待や夢に立脚しているということだ。
こうした価値観は当然、父と子の関係にも反映される。子は父よりもさらに伝統から遠ざかり、未来への期待を具体化する。子は積極的に父を乗り越え、先に進むことによって、アメリカ人としてのアイデンティティをより明確にしていく。そして、アメリカと父と子の関係がこのように結びついているということは、アメリカが道を踏み外したり、道を見失った場合には、それが父と子の関係にも現われることを意味する。
そこで思い出してみたいのが、『スター・ウォーズ』の最初の三部作だ。この神話的な物語には、ルーク・スカイウォーカーという子が父を乗り越えようとするアメリカ的な父子の図式があるが、それ以前にまず、父子の関係が壊れている。ルークの父親アナキンは、ジェダイの騎士だったが、暗黒面に引き込まれ、ダース・ベイダーとなった。そんな父親の運命には、ヴェトナム戦争が象徴されていると見ることができる。
ジョージ・ルーカスは、『スター・ウォーズ』の企画に着手する前に、ジョン・ミリアスとともに『地獄の黙示録』の企画を進め、自ら監督するつもりでいた。ところが、フランシス・フォード・コッポラと対立し、結局コッポラが監督することになった。
完成した『地獄の黙示録』はまぎれもなくコッポラの映画だが、そこにはルーカスの視点を垣間見ることができる。カンボジアの闇の奥に潜むカーツ大佐と彼を殺すために川を遡っていくウィラード大尉の関係は、『スター・ウォーズ』におけるダース・ベイダーとルークのそれと遠くないところにある。つまりルークは、ヴェトナム戦争という暗黒面に囚われた父親と剣を交え、最後の一瞬に暗黒面から父親を取り戻し、彼を乗り越えるのである。
それでは、いまのアメリカ映画では、アメリカと父と子の関係がどのように結びついているのだろうか。ロジャー・ドナルドソン監督の『リクルート』は、そのひとつの答だが、筆者はこの作品のポイントを明確にするために、他の2本の作品と対比してみたいと思う。キーワードになるのは、“冷戦以後”だ。
まず1本は、トニー・スコット監督の『スパイ・ゲーム』(01年)。物語は、冷戦終結から間もない1991年に設定されている。CIAの作戦担当官として手腕を振るってきたミュアーは、引退の日を迎えていたが、そこに彼が育て上げたエージェントであるトムが中国で逮捕され、処刑されるというニュースが飛び込んでくる。このドラマには、冷戦以後のアメリカの変化が描きだされている。
冷戦時代であれば、敵味方の立場は明確だったが、市場主義の時代には、利益だけが優先される。だからCIAは、味方であるトムを見殺しにする決定を下す。しかし、ミュアーは時代の変化に同調するつもりはない。彼は、CIA上層部と渡り合い、トムを救出すると同時に、冷戦時代にトムとの父子的な関係に亀裂をもたらした作戦を見事に補完してみせる。 |