LIFE!
The Secret Life of Walter Mitty


2013年/アメリカ/カラー/115分/スコープサイズ/ドルビーデジタル
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(初出:未発表)

サーバーの掌編、「LIFE」誌の栄枯盛衰、アナログからデジタルへ
徹底した非独創的社会のなかで自己を再確認すための旅

 ベン・スティラー監督・主演の『LIFE!』の主人公は、ニューヨークの伝統ある雑誌「LIFE」のオフィスの写真管理部に勤めるウォルター・ミティだ。不器用な性格ゆえに人付き合いが苦手な彼は、密かに想いを寄せる経理部の同僚シェリルに話しかけることもままならない。そんな彼には極端な空想癖があり、空想の世界では、ヒーローになって大活躍することも、世界中で冒険を繰り広げることもできる。それが退屈な日常をやり過ごす手段になっていた。

 だが現実は厳しい。デジタル化の波のなかで「LIFE」の経営は行き詰まり、新たな経営者はリストラの対象としてウォルターに目をつける。そんなとき、「LIFE」の最終号の表紙を飾る大切な写真が見つからないことに気づいた彼は、それを撮影したカメラマン、ショーンを探し出すために旅立つ。北極圏のグリーンランドからアイスランドの火山地帯へ。日常から飛び出すことで、彼の人生に転機が訪れる。

 ヴィジュアル化された空想の世界や旅から浮かび上がる非日常の現実世界は確かに見所ではあるが、それだけではない。この映画で最初に注目したいのは、ジェイムズ・サーバーが1939年に「ニューヨーカー」に発表した掌編「虹をつかむ男(The Secret Life of Walter Mitty)」が原作になっていることだ。アメリカではこの作品が読み継がれ、主人公のウォルター・ミティは空想癖のある人物の代名詞になってもいる。だから作り手も、なにを期待されているかわかってこれを作っている。

 この映画では、脚本を手がけたスティーヴン・コンラッドの豊かな想像力が光る。彼は、舞台を現代に置き換え、私たちにも馴染みのある「LIFE」誌の写真群と歴史を物語に絡ませている。その「LIFE!」が創刊されたのは1936年。サーバーがこの映画の原作を発表したのと同じ30年代のことだ。30年代末に書かれた小説を現代に甦らせるために、30年代に創刊された雑誌の終焉というエピソードを盛り込む。

 この構成はなかなか興味深い。「LIFE」誌はフォトジャーナリズムの黄金時代を築いたが、テレビという新しいメディアが本格的に普及するにしたがって経営が悪化し、休刊と復刊を繰り返したあと最終的に2007年に休刊となった。そこで注目したいのは、アナログからデジタルへの移行と「LIFE」の終焉に象徴される現代における世界とメディアと個人の関係だ。

 筆者はこの映画を観ながら、ギリアン・フリンの小説『ゴーン・ガール』のことを思い出していた。そこでは、世界とメディアと個人の関係が以下のように表現されている。


◆スタッフ◆
 
監督/製作   ベン・スティラー
Ben Stiller
脚本/製作 スティーヴン・コンラッド
Steven Conrad
原作 ジェイムズ・サーバー
James Thurber
撮影 スチュアート・ドライバーグ
Stuart Dryburgh
編集 グレッグ・ヘイデン
Greg Hayden
音楽 セオドア・シャピロ
Theodore Shapiro
 
◆キャスト◆
 
ウォルター・ミティ   ベン・スティラー
Ben Stiller
シェリフ・メルホフ クリステン・ウィグ
Kristen Wiig
エドナ・ミティ シャーリー・マクレーン
Shirley MacLaine
テッド・ヘンドリックス アダム・スコット
Adam Scott
オデッサ・ミティ キャスリン・ハーン
Kathryn Hahn
ショーン・オコネル ショーン・ペン
Sean Penn
トッド・マハール パットン・オズワルト
Patton Oswalt
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(配給:20世紀フォックス映画)
 

 「ここ数年、ぼくは退屈しきっていた。それは落ち着きのない子どもが訴えるような退屈さではなく(それからも卒業しきれてはいないが)、もっと重苦しい、全身を覆うような倦怠感だった。なにを見ても目新しさを覚えられずにいた。ぼくらはどうしようもないほどに徹底した非独創的社会に住んでいる(非独創的という言葉を批判的に使うこと自体が非独創的だが)。いまのぼくたちは、初めて目にするものがなにもないという、史上初の人類となった。どんな世界の驚異も無感動な冷めた目で眺めるしかない。モナ・リザ、ピラミッド、エンパイア・ステート・ビル。牙をむくジャングルの動物たちも、太古の氷山の崩壊も、火山の噴火も。なにかすごいものを目にしても、映画やテレビでは見たことがある、と思わずにはいられない。あるいはむかつくコマーシャルで。「もう見たよ」とうんざりした顔でつぶやくしかない。なにもかも見尽くしてしまっただけでなく、脳天を撃ち抜いてしまいたくなるほど最悪なのは、そういう間接的な経験のほうが決まって印象的だということだ。鮮明な映像に、絶好の眺め。カメラアングルとサウンドトラックによってかき立てられる興奮には、もはや本物のほうが太刀打ちできない。いまやぼくらは現実の人間なのかどうかさえ定かではない。テレビや映画や、いまならインターネットとともに育ったせいで、誰も彼もが似通っている。裏切られたとき、愛する者が死んだとき、言うべきセリフはすでに決まっている。色男やら切れ者やらまぬけやらを演じるためのセリフだって決まっている。誰もが同じ使い古された台本を使っている

 フォトジャーナリズムやテレビやインターネットなど、単にメディアが変化しているだけではなく、私たちは徹底した非独創的社会を生きている。そんなことを意識してみると、この物語がより新鮮に感じられるのではないだろうか。

《参照/引用文献》
『ゴーン・ガール』 ギリアン・フリン●
中谷友紀子訳(小学館文庫、2013年)

(upload:2014/03/14)
 
 
《関連リンク》
ギリアン・フリン 『ゴーン・ガール』 レビュー ■
デヴィッド・O・ラッセル 『アメリカの災難』 レビュー ■

 
 
 
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