カーティス・ハンソンが珍しく脚本にも名前を連ねた新作『ラッキー・ユー』の世界は、これまでの彼の作品のなかでは『ワンダー・ボーイズ』に最も近いといえる。
ピッツバーグの大学で開催されるワードフェス(文芸祭)を背景にした『ワンダー・ボーイズ』には、二人の神童が登場する。かつて神童と騒がれた大学教授と自分の殻に閉じこもりながらも才気を放つ彼の教え子。それぞれに壁にぶつかっている彼らは、文学と人生が交錯するドラマのなかで、自己を再発見していく。
ラスヴェガスで開催されるポーカーの世界選手権を背景にした『ラッキー・ユー』には、二人のプロのギャンブラーが登場する。才能に恵まれながら、それを開花させることができない主人公ハックと、彼にすべてを教え込み、すでに二度も世界の頂点に立った経験を持つ父親のLC。そのLCはかつてハックの母親を捨て、親子の間には確執がある。しかし、ともに頂点を目指す彼らの関係は、カードゲームと人生が交錯するドラマのなかで変化していく。
この二作品の設定や物語には共通点があるが、その表現はまったく違う。『ラッキー・ユー』では、これまで以上に舞台と主人公が密接に結びついていく。エリック・シュローサーは、ラスヴェガスという都市を以下のように表現している。
「ここはアメリカの主要都市の中でも最も成長速度が速く、完全に人工的に作られており、ただ現在のみに生き、周囲の風景とはほとんど関係を持たず、その土地自体の過去にすらほとんど関心を寄せていない。耐久建築物は建てられず、ホテルは流行遅れになるとすぐさま取り壊される。そして市の境界線は市の位置同様気まぐれに決められ、芝生が途切れた先の荒れ地に、街の目抜き通りザ・ストリップ≠ゥらさほど遠くない砂漠に、ビニール袋やごみが散乱する」
この記述は、ハックの人生にも当てはめることができるだろう。彼は才能あるプレイヤーだが、父親を意識するあまり勝敗に固執し、冷静さを欠き、いつも最後にすべてを失う。積み上げては崩すことを繰り返す。彼が暮らす家には、家具も生活感もない。友人がいないことはないが、彼らを繋いでいるのはほとんどギャンブルだ。女と付き合っても本気にはなれず、長続きしたことがない。
そんなハックは、映画のクライマックスの世界選手権に至るまで、実はずっと同じことを繰り返している。参加費の一万ドルを用意するために、何とか元手を作り、ゲームで増やし、そして失う。その連続なのだ。この映画では、お互いに対戦相手の身ぶりや表情、態度などのボディ・ランゲージを読みあうことが、そのままドラマになっている。ゲームの場では当然、誰もが相手を騙そうとする。しかし、ハックとLCの間では、勝敗を競い合いながらも、ボディ・ランゲージが微妙に変化していく。
それを象徴するのが、母親の結婚指輪だ。映画の冒頭でハックは、デジカメとその指輪を質に入れて元手を作るが、LCに負けて有り金を失う。質屋から指輪を取り戻すのはLCだが、今度は二人の内輪の賭けでハックが勝ち、それを取り戻す。指輪は、そんなふうにしてクライマックスまでハックとLCの間を往復し、対立しているはずの彼らを結びつけていく。
ちなみに、この映画には、ハックと駆け出しのシンガーであるビリーのロマンスも盛り込まれているが、彼女の存在感が希薄なのは、彼女がカードゲームとは無縁で、ボディ・ランゲージによって成り立つ関係にまったく割り込むことができないからだ。 |