赤い部屋の恋人
The Center of the World  The Center of the World
(2001) on IMDb


2001年/アメリカ/カラー/87分/ヴィスタ
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(初出:『赤い部屋の恋人』劇場用パンフレット)

 

 

世界の中心という幻想のなかに
浮かび上がる切ない愛のかたち

 

 『赤い部屋の恋人』は、『スモーク』やその続編である『ブルー・イン・ザ・フェイス』と同じように、ウェイン・ワンとポール・オースターのコラボレーションから生まれた作品だが、そこに描きだされる世界には大きな違いがある。『スモーク』は、ワンがオースターの掌編「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」に惚れ込み、映画化を思い立ったことがきっかけで、意気投合したコンビによって作り上げられた。

 これに対して『赤い部屋の恋人』の場合は、ワンの関心からアイデアが膨らみ、オースターや彼の妻で作家のシリ・ハストヴェットとのコラボレーションへと発展した。要するに、ワンのカラーがより前面に出ているということだが、この映画と『スモーク』や『ブルー・イン・ザ・フェイス』には、単に世界が異なるのではなく、対極にあるアメリカを映しだしているところがあり、対比してみると実に面白い。

 ブルックリンの下町で煙草屋を営む『スモーク』の主人公オーギー・レンは、十四年間、毎朝同じ時間に店の前で写真を撮りつづけている。その写真は、彼が生きる小さな世界を象徴している。他人には退屈な世界に見えるかもしれないが、彼は写真に刻み込まれる日々のささやかな変化に満足しているし、彼の店は近所の連中の溜まり場になっている。

『ブルー・イン・ザ・フェイス』では、その煙草屋のオーナーが店を売り払おうとする。このスケッチ風のドラマではそのことが、地元民に愛されていたにもかかわらずビジネスを優先してブルックリンからロスに移転してしまったドジャースのエピソードに重ねられていく。しかし、オーナーのなかに昔のブルックリンの記憶が甦り、煙草屋は生き残ることになる。2本の映画からは、金には置き換えることができない場所への愛着や人と人との深い絆が浮かび上がってくるのである。

 世界の片隅に生きるこのオーギーに対して、『赤い部屋の恋人』の主人公リチャードは、"The Center of the World"という映画の原題が物語るように、世界の中心に生きている。彼はこの映画のなかで、ふたつの意味で世界の中心にいる。ひとつは、コンピュータ・ネットワークだ。オンライン・トレーディングで巨万の富を築きあげた彼は、居ながらにして世界にアクセスし、欲しいものを手に入れることができる。そしてもうひとつがラスヴェガスだ。


◆スタッフ◆

監督   ウェイン・ワン
Wayne Wang
脚本 エレン・ベンジャミン・ウォン()
Ellen Benjamin Wong
撮影 マウロ・フィオーレ
Mauro Fiore
編集 リー・パーシー
Lee Percy
 
ウェイン・ワン、ポール・オースター、シリ・ハストヴェットの共同のペンネーム

◆キャスト◆

リチャード   ピーター・サースガード
Peter Sarsgaard
フローレンス モリー・パーカー
Moly Parker

(配給:日本ビクター)
 

 

 エリック・シュローサーのベストセラー『ファストフードが世界を食いつくす』のなかに、ラスヴェガスに関するこんな記述がある。「ここではまさに、世界的な均質化現象が逆行している。世界じゅうがウォルマートやアービーズやタコベルといったアメリカ文化の前哨基地を建設しているあいだに、ラスヴェガスは過去十年を、世界じゅうを再現することに費やしてきた。(中略)エッフェル塔、自由の女神、スフィンクスなどのレプリカ。ヴェネチア、パリ、ニューヨーク、トスカナ、中世イギリス、古代エジプト・ローマ、中東、南太平洋を模した巨大な建物。ラスヴェガスはとことん不自然で人工的であり、かえってそのために、本物の、つまりほかのどこにもない場所になっている」。

 フローレンスに出会ったリチャードが、彼女を誘うのにラスヴェガスほど相応しい場所はない。なぜならそこは、コンピュータ・ネットワークと同じように人工的で虚構性に満ちた空間であり、しかもシュローサーの記述にあるように、世界が集められた中心であるからだ。彼にとっては、そんな非現実的な空間こそがリアルなのであり、彼が滞在するホテルの部屋は、巨大なコンピュータ・ディスプレイといえないこともない。そして、彼の自宅のディスプレイには、市況やポートフォリオとともにポルノ・サイトと繋がっていたように、ホテルの部屋でも隣室からフローレンスが現れ、妖艶なパフォーマンスを繰り広げるのである。

 しかし、フローレンスは必ずしも虚構性に満ちたリチャードの世界の住人ではない。彼女には、自分の欲望に忠実に生きるミュージシャンと高級クラブのストリッパーというふたつの顔がある。そこで、ふたりの間でそれぞれの現実が揺らぎだす。さらに、彼らの独占的な空間にジェリーやブライアンという第三者が介入することで、ふたりの間に奇妙な共犯意識が芽生え、恋人同士であるかのような錯覚を生み出してしまう。リチャードは自分の閉ざされた世界から踏み出して、彼女のすべてを受け入れようとするかに見えるが、実際には自分のリアリティのなかに彼女のすべてを取り込もうとしているに過ぎない。だから彼女の生身の肉体と心に裏切られることになるのだ。

 ウェイン・ワンは、高級娼婦と売れない漫画家の出会いを発端に、欲望と虚飾に満ちたロスのダークサイドを映しだす『スラムダンス』や、ビバリーヒルズにとり憑かれた母親と彼女に翻弄される娘を主人公にした『地上より何処かで』など、様々なかたちでアメリカの幻想を描きだしてきた。コンピュータ・ネットワークやラスヴェガスを背景とした『赤い部屋の恋人』は、激しく変化する現代のなかにそのアメリカの幻想をとらえた作品といえる。

 そしてこの映画は、主人公が属する世界だけでなく、現実と虚構の関係においても、『スモーク』と見事な対照をなしている。『スモーク』のドラマは、たとえ嘘でも、それを信じる人間がいれば事実になり、そこに深い友情が育まれることを暗に物語っている。つまり、虚構が人と人の現実世界における絆をより揺るぎないものにする。これに対して、『赤い部屋の恋人』の男女は、それぞれの現実に隔たりがあり、その関係は現実に裏切られ、最終的に虚構の世界でしか愛し合うことができない。そんな愛のかたちが何とも切ない印象を残すのである。

 
《参照/引用文献》
『ファストフードが世界を食いつくす』エリック・シュローサー●
楡井浩一訳(草思社、2001年)

(upload:2004/02/07)
 
 
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