ポルトガル映画界の新鋭ミゲル・ゴメス監督の『熱波』は、緻密に構築されたモノクロの映像世界が実に不思議な印象を残す作品だ。
その物語は、現代ポルトガルの都市を舞台にした「楽園の喪失」と植民地時代のアフリカを舞台にした「楽園」の二部で構成されている。
第一部に登場するのは、80代の孤独な老女アウロラと彼女の世話をするメイドのサンタ、そして彼らの隣人で、定年後に奉仕活動に精を出すカトリック信者の女性ピラール。病に倒れ、死期が近いことを悟ったアウロラは、ベントゥーラという男を探すように二人に頼む。見つかったベントゥーラは、アウロラの死に目には間に合わないが、二人に50年前の出来事を語り出す。
第二部では、若きアウロラとベントゥーラの禁断の恋が描かれるが、ゴメス監督は過去を単純にドラマ化してしまうのではなく、サイレントの映像にナレーションを重ねていく。その寡黙で抑制された映像は、ナレーションに縛られるわけではなく、異なる解釈の余地が残されている。具体的には、ベントゥーラの回想と彼の話からピラールやサンタのなかに膨らむ想像が交錯しているようにも見えるということだ。
つまり、第二部は単なる回想ではない。ではなにを表現しようとしているのか。おそらく映画のプロローグとなるエピソードがそのヒントになるだろう。
そこに登場する男は、最愛の妻を亡くした喪失感から逃れるために、アフリカの未開の地を突き進むが、妻の幻影はどこまでもつきまとう。ならば死ぬしかないと彼はワニが潜む川に身を投げる。その後、一帯には物憂げなワニと女性の幽霊を見たという迷信じみた噂が絶えることがなかった。男と妻の絆はそんなふうにして死をも超える。
その幽霊の噂とは、言葉をかえれば“消え去ったものの痕跡”といえる。老女アウロラは、ピラールやサンタから妄想癖があると思われていた。老人ホームに暮らすベントゥーラも家族からボケ老人だと思われていた。二人がそのまま亡くなれば過去は無になっただろう。 |