漆原友紀の人気コミック『蟲師』に描き出される日本には、動物や植物とは異なる生命のかたちを持ち、ほとんどの人の目には見えない“蟲”と総称される生き物が棲息している。蟲は時として人にとり憑き、不可解な現象を引き起こす。そんな蟲の生態を探り、現象に対処する蟲師のひとりである主人公のギンコは、蟲を引き寄せてしまう体質ゆえに、終りのない旅をつづけている。
『蟲師』の舞台は、近代化以前の日本を思わせるが、その時代背景や場所は故意に曖昧にされている。もちろん蟲も架空の生き物だ。しかしこのコミックは、まったく荒唐無稽な世界を描いているわけではない。そのインスピレーションの源には、南方熊楠の粘菌研究やエコロジカルなヴィジョン、あるいは、宮本常一の『忘れられた日本人』の世界がある。
漆原友紀は、そうしたヒントとたぐいまれな想像力によって、埋もれた歴史を掘り起こすのではなく、独自の生態系を備えたもうひとつの日本を創造してしまった。『蟲師』のある物語のなかで、ギンコが、「蟲にも罪などない、互いに、ただ、その生を遂行していただけだ」と語るように、人と蟲は異なる生存原理に基づいて生きている。
そして、近代化のなかで闇や異界を喪失したわれわれは、このもうひとつの日本のなかで、ギンコに導かれるように、蟲という他者と向き合い、生の営みや人間性を見つめなおしていくことになる。
このコミックを実写で映像化した大友克洋監督の『蟲師』では、原作の世界が独自の視点から掘り下げられていく。一話完結の短編形式で描かれる原作では、ギンコは、人と蟲の関係を仲介する第三者的な立場にあるが、この映画では、ギンコ自身に焦点が当てられる。
大友監督は、原作から、ギンコの過去が描かれる異色の物語「眇の魚」を含む四つの物語を選び出し、部分的に変更を加え、ひとつにまとめあげている。
その四つの物語には、重要な共通点がある。どの物語の登場人物も、まず彼らの親が蟲にとり憑かれ、彼らはそれを引き継ぐか、あるいは、その影響を受けている。大友監督は、この親子の絆と蟲の結びつきに着目し、過去と現在を繋ぐ縦軸とギンコの旅という横軸を交差させながら、人とギンコのように境界を生きる者の違いを浮き彫りにしていく。
この映画の最初に描かれる額に角の生えた少女・真火の物語は、一見独立しているように見えるが、実はその縦軸と横軸の起点になっている。真火は、母親を強く慕うがゆえに、蟲を呼び込んでしまう。彼女はただ苦しんでいるのではなく、それを亡くなった母親と共有している。つまり、蟲は絆でもある。 |