そこで注目したいのが、グァダニーノ監督のアイデンティティに対する独自の視点と表現だ。この映画では、国や言語、階級、セクシュアリティ、グローバリゼーション、料理、自然といった要素を通して、登場人物たちのアイデンティティの違いが描き出される。
なかでも特に興味深いのが、一族の会社を買収しようとするクベルキアンとエンマという二人のディアスポラのコントラストだ。クベルキアンはインド系としてのルーツや文化におそらくはまったく関心がない。彼は、経済活動にプラスになれば戦争すら肯定するグローバリゼーションの象徴のような存在であり、実際、会社の買収後は不動産などにビジネスを広げていこうと考えている。これまでイタリアの歴史とともに歩んできた一族の会社は、グローバリゼーションに呑み込まれようとしている。
一方、エンマの場合はもっと複雑だ。共産主義時代のロシアからイタリアに来た彼女は、過去を捨ててイタリア人に成りきる選択をした。しかし、過去を完全に葬り去ったわけではない。彼女はエドとだけはロシア語で話し、ロシアのスープ料理を通して特別な絆を培ってきた。そんな彼女がアントニオに料理に官能的な喜びを感じることには深い意味がある。料理に対する認識が変わることは、母親と息子と友人の関係をより複雑なものにするからだ。
では、グローバリゼーションの波が押し寄せる状況で、彼女はどんなアイデンティティを見出すのか。考えられるのは、再びロシア人に目覚めるということだが、この映画はそんな平凡な結末には至らない。彼女がサンレモでアントニオに再会する場面はなかなか暗示的だ。彼女は、玉葱ドームが印象的なロシア教会を見ていて、その脇を歩いていくアントニオに気づき、その後を追う。
エンマはアントニオとの情熱的な関係を通して、ロシアではなく、料理の素材を育む自然に目覚め、心と身体を解き放つ。グローバリゼーションと歴史や文化という図式は珍しくないが、自然を対峙させる視点は新鮮だ。それをエコフェミニズムというのは大袈裟かもしれないが、メロドラマとは次元の異なる世界を切り拓いていることは間違いない。
《trivia》
●the guardianの記事“First sight: Luca Guadagnino”によると、グァダニーノ監督は学生時代からティルダ・スウィントンの熱烈なファンで、サリー・ポッター監督の『オルランド』が公開され、スウィントンがローマで会見を開いたとき、まだ学生だった彼は、劇場に着いた彼女の前に立ちはだかり、自分の短編に出演してほしいと頼み込んだという。
●この映画で、レッキ一族の会社を買収するインド系アメリカ人クベルキアンを演じているジュエリー・デザイナー/俳優のワリス・アルワリアについては、筆者ブログ(Into the Wild 2.0)の『ミラノ、愛に生きる』にはワリス・アリワルアも出ているをご覧ください。 |