[ストーリー] 1956年、ローレンス・オリヴィエが監督と主演を務める『王子と踊子』の撮影のために、結婚したばかりの劇作家アーサー・ミラーとともにイギリスにやってきたマリリン・モンロー。マスコミやスタッフから大歓迎を受ける彼女だったが、初めての海外での撮影によるプレッシャーと、夫ミラーとの確執で不安定になり、仕事に集中することができない。しかも、演技法をめぐってオリヴィエと対立し、撮影は大幅に遅れていく。そんなとき、孤独に苛まれるマリリンを理解し支えてくれたのは、第3助監督の青年コリン・クラークだった――。
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サイモン・カーティス監督の『マリリン 7日間の恋』の物語は、後にドキュメンタリーの監督として名を残すコリン・クラークが書いた二冊の回顧録がもとになっている。
筆者はどちらも読んでいないが、一作目の『The prince, the Showgirl, and Me』では、『王子と踊り子』の第3助監督を務めたクラークの目に映ったモンローとローレンス・オリヴィエという二人の世界の軋轢が描き出され(40年前の出来事だが、クラークは撮影中、毎晩日記をつけていた)、二作目の『My Week with Marilyn』では、クラーク自身がマリリンとイギリス郊外を旅した一週間の出来事が記されているという。
この映画の成功の要因には、二冊の回顧録を巧みに組み合わせた脚本を挙げてもよいだろう。その結果として、映画の撮影現場が険悪な空気に包まれ、修羅場と化していくのに対して、その外でまるで映画のようなロマンスが芽生えているという皮肉でめりはりのある物語が生まれた。
撮影現場の空気が険悪になるのは、舞台で培われてきたオリヴィエの演技とモンローがこだわるメソッド・アクティングが相容れないからだが、そこにはもう少し違った側面があるように思える。
かつて筆者がヴィンセント・ギャロにインタビューしたとき、彼は演技者を“アクター”と“ムーヴィースター”に分け、その違いを以下のように説明していた。
「アクターというのは、俳優として認められるために何かを証明しなければならないような仰々しさがある。 演技にとりつかれているんだ。25年前にデ・ニーロが出てきたとき、彼はムーヴィースターだった。カリスマがあり、イカしてた。 でも演技にこだわりだして、どんどんアクターに変貌し、オレは耐えられなくなった。デ・ニーロになりたいっていう若い連中がたくさんいてうんざりするよ。 演技があまりにも芸術的になると映画のなかでは生きないんだ。その点、ウォーレン・ベアティは素晴らしかった。彼はどんな作品でも自然体でフィルムメイカーと協調関係を築き上げていた。 ムーヴィースターというのは、人類の進化のなかに無理なく適応しているコンセプトなんだよ 」
このギャロの言葉を踏まえるなら、モンローはムーヴィースターで、最終的にオリヴィエは、ムーヴィースターとしてのモンローを受け入れるように見える。それと同時に皮肉な物語の図式も逆転し、ほろ苦い結末を迎える。